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<道しるべ探して>基地と原発 構造的差別

高橋哲哉(たかはし・てつや)1956年、いわき市生まれ。東大大学院博士課程単位取得。南山大講師などを経て、2003年から東大大学院総合文化研究科教授。著書に「靖国問題」「国家と犠牲」「犠牲のシステム 福島・沖縄」など。

◎とうほく共創 第7部響き合い/哲学者 高橋哲哉氏に聞く

 誰かの利益が、別の誰かを犠牲にして生み出される。それが偶発ではなく、制度のような形で成り立つ場合を「犠牲のシステム」と呼ぶ。
 基本的人権を保障する憲法上、あってはならないことだが、戦後日本には「国益」と称した犠牲のシステムが間違いなくあった。一つは「福島」で事故を起こした原発の推進政策であり、もう一つが「沖縄」の基地負担で成り立つ日米安全保障だ。
 福島第1原発事故は、電力を享受する首都圏が福島にリスクを負わせていたことを明らかにした。基地問題も、本土の国民が日米安保を支持してリスクだけ沖縄に肩代わりさせている。

 核の平和利用や安全保障という国策の下、特定の人々が犠牲になる点で福島と沖縄は似ている。人権保障や法の下の平等といった憲法の原則から、福島と沖縄だけが外れたかのようだ。
 民意に反する点も共通する。「脱原発」の世論は事故後、着実に広がっているが、政府は原発推進を強行している。米軍基地も沖縄が名護市辺野古への移設に反対しているにもかかわらず、強硬に押し付けようとしている。
 個人的に沖縄を差別する人はあまりいないが、本土への基地受け入れに反対し、沖縄に基地を閉じ込めていること自体が「構造的差別」に他ならない。
 構造的差別は原発にも言える。電力の大消費地ではなく、過疎地への立地を原則としているのは、都市で犠牲を出したくないという発想であり、中央が地方を差別する構造だ。
 また、差別を神話で隠したり、「尊い犠牲」と美化したりするのも犠牲のシステムの特徴だ。原発は安全神話でリスクを隠し、基地負担は沖縄への感謝という形で美化された。

 福島と沖縄は今、互いにシンパシーを感じ始めている。
 福島の人々は原発事故に直面し、いくら声を上げても政府が聞いてくれないという、沖縄が抱えるつらさを初めて実感した。沖縄の人々には、自分たちに似た苦しみを福島も味わっているという、同情や共感がある。当事者しか分からない感覚が、両者の心をつないだと言える。
 ただ、福島も東北も歴史的に見れば、基地問題で沖縄を差別する側だったことを忘れてはならない。その責任を認め、一緒に考えていく姿勢を前提にしなければ、真の連帯はない。
 反省の上に東北は、沖縄と手を携えてほしい。国内の構造的差別をなくし、原発や核、戦争といった犠牲のシステムをなくすというメッセージを世界に発信してほしい。世界は必ずその声に耳を傾けるはずだ。


2016年12月27日火曜日


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