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<回顧みやぎ>五輪復興発信 理念どこへ

長沼ボート場を視察した小池都知事(船上中央)を歓迎する登米市民ら=10月15日

◎2016振り返る(10)長沼ボート場開催実現せず

<地元は蚊帳の外>
 2020年東京五輪・パラリンピックのボートとカヌーの会場候補に一時挙がった県長沼ボート場(登米市)。騒動の期間中、頻繁に通った管理事務所を今月20日、再訪した。
 オフシーズンのボート場は、例年の師走通り、静かな光景が広がっていた。事務所では、高橋賢司所長らが来シーズンに向けた準備の打ち合わせをしていた。
 「当時、話題になったボート場を見ようと多くの人が来た。テレビの取材陣も常に複数いて、取材や問い合わせは延べ約100件はあった」と高橋所長。記者も含め事務所にいた4人は「あの騒動は何だったんだろう」と力なく笑った。
 「長沼が会場候補に」の一報は9月28日の早朝に流れた。
 県ボート協会役員の携帯電話を鳴らしたが、「うそだろ?」の返事。五輪開催の可能性が出ていることを知らされていなかった。大会運営の実動部隊となる競技関係者が「脇に置かれている」と感じた。スムーズに進むのか疑った。
 そもそも、東京都の調査チームは用意周到に事を進めたわけではない。日本ボート協会や日本カヌー連盟にも事前の打診や相談はなかった。突然の提案に両団体は猛反発した。
 県カヌー協会幹部は「連盟に何も話がない。どうなっているのか」とぼやいた。長沼を推す県ボート協会も、東京開催を望む全国のボート関係者の間で四面楚歌になった。「つらいよ」と幹部は漏らしていた。

<「登米が有名に」>
 現地まで視察に訪れた小池百合子都知事だったが、11月29日、長沼での開催案を下ろした。長沼を持ち上げた当事者の対応としては、あっさりとしていたと感じた。それでも、横断幕を掲げて小池都知事を歓迎し、誘致運動に奔走した登米市民は「登米を有名にしてもらった」「市民が心を一つにする出来事だった」と感謝の気持ちを表した。
 ただ、気になるのは「復興五輪」の考え方はどうなったのかということ。長沼開催の主張の背景には、復興を世界へアピールするという狙いがあったはずだ。
 野球の福島県内での開催の決定も先送りになった。「復興」という言葉が安直に使われていたのではないか。その疑念は今もぬぐえない。
(登米支局・本多秀行)

[メモ] 2020年東京五輪・パラリンピックのボート、カヌー・スプリント会場に関し、東京都の都政改革本部の調査チームが9月下旬、都内の「海の森水上競技場」から登米市の県長沼ボート場への変更案を公表。県内は歓迎ムードに包まれたが11月29日、都は変更を断念。「海の森」に決定した。長沼ボート場は89年開設。98年に国際大会対応のA級コースになった。


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2016年12月29日木曜日


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