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<楽天>「小さな大投手」 静かに幕

東北楽天ファン感謝祭で行われた引退セレモニーであいさつする長谷部=11月23日、コボスタ宮城

 長谷部は2007年秋の大学・社会人ドラフトで東北楽天を含む5球団から指名を受けた期待の星だった。だが、けがに苦しみ、ひっそりと引退の時を迎えた。「喜びより苦しみが多かった。でも誰もが経験できるわけではない濃い時間を過ごし、人間的に成長させてもらった」。9年間は人生の貴重な財産になった。
 「社会人に進む予定が騒がれて、あれよあれよとドラフト1位になった」。07年に星野監督(現東北楽天球団副会長)の下、北京五輪アジア予選の日本代表最終候補にアマで唯一選ばれた。それを機にドラフトの目玉になり、シンデレラストーリーの主役になった。身長173センチと小柄でも最速152キロの速球と変化球の緩急を駆使する技巧派だった。当時の野村監督は新人左腕を「小さな大投手」と称賛して期待した。
 順調に岩隈(マリナーズ)、田中(ヤンキース)に続く先発の座をつかみかけた08年3月、長崎でのオープン戦、守備で飛球を追って走った時に左膝半月板を痛めた。
 開幕に出遅れたが、手術を避けたため5月に1軍復帰できた。「1位で入った責任感が強かったし、早く活躍したかった」。07年に高卒で11勝した田中に続けとばかりに、長谷部は即戦力の期待を背負っていた。
 1勝で1年目を終えて手術を受けた時、患部は悪化していた。「最初に手術していれば問題なかったかもしれない」
 それでも「けがを乗り越えてこそ本物のプロ」と信じ、再起した。手術翌年の09年には夏場まで先発で回って5勝。2度目の手術を経た13年は後半戦から救援で活躍し、初の日本一を支えた。14年以降は徐々に働きの場を失った。最後の登板は今季9月27日のオリックス戦(京セラ)。劣勢の展開での救援は打者3人に3四球で終わった。「納得のいく内容、結果が出せなくなった。クビを覚悟した」。4日後に戦力外通告を受け、引退を決意した。
 「けがが多く、期待に応えることができなかった。本当に申し訳ない気持ち」。11月23日のファン感謝祭で牧田、栗原と並んで最後のあいさつを述べた。それまでの重圧から解放されたように晴れやかな表情が戻っていた。(金野正之)


2016年12月29日木曜日


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