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<さとう宗幸>音楽への思いを確信 歌の道へ

公私にわたる苦楽の軌跡を語るさとうさん
父親から買ってもらった縦笛を吹く小学2年のさとうさん

 大ヒット曲「青葉城恋唄」で知られる宮城県大崎市古川育ちのさとう宗幸さん(67)。「宗さん」の愛称で多くの人々に親しまれ、シンガー・ソングライターとしてだけでなく、俳優、テレビ番組の司会者と、さまざまな分野で活躍している。2018年にはデビュー40周年を迎える宗さんに、これまでの半生の喜怒哀楽を振り返ってもらった。

◎談 人生 仕事(1)

――岐阜県可児市で、4男1女の末っ子として誕生した

<縦笛で喜びを知る>
 父は仙台市生まれ、母は栗原市の出身です。父の転勤先の岐阜で生まれましたが、2歳の時、母親の本家がある古川市(現大崎市)に引っ越してきました。わんぱくな子どもでした。しかし、古川一小2年の時に重度の腎臓病を患い、危篤に陥ったことがありました。奇跡的に生き延びましたが、約2カ月間の入院を余儀なくされ、父親が心を和ませようと縦笛を買ってくれました。その時に楽器で音を出す喜びを知り、音楽との縁が始まりました。
 古川中では吹奏楽部に入部し、行進の時に先頭に立って演奏する格好良さに憧れてトロンボーンを担当。古川高ではマンドリン部でしたが、反戦歌などに触発され、岡林信康さんやジョーン・バエズ、ボブ・ディランらを一心に聴いていました。独学でギターを覚え、発表のあてがないまま反戦歌などの作曲に励んでいました。
 東北学院大に進学すると、仙台市内の歌声喫茶「若人」でアルバイトを始め、合唱を引っ張るリーダーになりました。フォークソングが主流の時代でした。1971年に北海道旅行で着想を得て自主制作した「岩尾別旅情」の評判が良く、店でもよく歌われました。

<一度は東京で就職>
 「歌は趣味でなりわいにはしない」と決め、東京のレジャー産業会社に就職しました。仕事はボウリング場のインストラクター。就職を機に、仙台で付き合っていた女性を東京に呼びました。その女性が妻です。
 就職した年の夏、ラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)から「岩尾別旅情を番組で流したいが、曲ができた経緯を話してほしい」と、出演依頼の話が舞い込みました。その時、「本当は自分は音楽がやりたいんだ」と確信したのです。その思いに突き動かされ、上京して約10カ月で会社を辞めて仙台に戻り、「若人」で再び働き始めました。休みは月2回。1日5ステージをこなし、50曲以上も歌う日が続きました。
 3年後に「若人」を辞め、コンサート活動を始めたのですが、妻子を養える状態ではありませんでした。生活を安定させるため、仙台駅近くにスナックを開業。2年後にはライブハウスをオープンしました。
 ミュージシャンの拠点にしたいという強い思いはあったのですが、志と経営は別もので赤字続き。運悪く、借金の保証人になっていた知人が破産し、わが家の家財も差し押さえられました。号泣する妻を目の当たりにしてつらかったです。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)

[さとう宗幸(むねゆき)]シンガー・ソングライター。本名は佐藤宗幸。1949年生まれ。東北学院大卒。78年に「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。テレビドラマの「2年B組仙八先生」や「独眼竜政宗」などで俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの「OH!バンデス」の総合司会者。最新曲は「あ・り・が・と・う・の歌」。仙台市泉区在住。


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2017年01月01日日曜日


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