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<さとう宗幸>視聴者と交流条件にTV司会

ミヤギテレビの「OH!バンデス」の総合司会者としてお茶の間で親しまれている(右から)さとうさん、タレント渡辺勝彦さん、同局アナウンサー浮ケ谷美穂さん(ミヤギテレビ提供)=1995年

 大ヒット曲「青葉城恋唄」で知られる宮城県大崎市古川育ちのさとう宗幸さん(67)。「宗さん」の愛称で多くの人々に親しまれ、シンガー・ソングライターとしてだけでなく、俳優、テレビ番組の司会者と、さまざまな分野で活躍している。2018年にはデビュー40周年を迎える宗さんに、これまでの半生の喜怒哀楽を振り返ってもらった。

◎談 人生 仕事(4)

――1995年4月にミヤギテレビのローカルワイド番組「OH!バンデス」の総合司会者に抜てきされる

<永さん著書後押し>
 出演依頼を受けたのは95年1月です。電波を通じた仕事に倦(う)んでいた時期で、94年9月にラジオ番組に一区切り付けた後だったので、いったんはお断りしました。
 しかし、敬愛していた永六輔さん(故人)の著書をたまたま読んでいて考えが変わったのです。その本には一方的にメッセージを送るだけでなく、送った先の人たちのところに自分で出掛け、その人たちの思いをすくい上げる大切さが説かれていました。考えに考えた末、永さんの文章に後押しされ、ロケで視聴者のところに赴くことを条件に司会を引き受けました。
 番組が始まった当初は、視聴率が全く伸びませんでした。胃腸の調子が狂ったり、血圧が高くなったりして心身共にストレスがたまりまくっていました。当時、たばこを1日3、4箱は吸っていたのですが、「視聴率が10%になるまで禁煙する」と誓い、きっぱりと止めました。この願掛けが効いたのかどうかは分かりませんが、95年12月には視聴率が2桁に達しました。
 早いもので「OH!バンデス」の司会は、22年目に入りました。平日の週5日間の生放送なので、今では生活の軸となっている感じです。ただ、基本的には僕はシンガーであるという姿勢に変わりはありません。
 番組の中には視聴者から寄せられたレシピで料理を作るコーナーがあり、好評です。両親が共働きだったので、よく料理の手伝いをしていたため、それが今に生きています。振り返ると、「OH!バンデス」の視聴率が上がり始めたのは、当時の僕の料理コーナーがきっかけだったとも言われているんです。

――さとうさんは幅広く社会貢献の活動もしている

<子どもたちに夢を>
 国際障害者年(1981年)を機に永さんの誘いで、音楽祭「われら人間コンサート」の仙台公演に関わりました。永さんからは弱者に対する配慮や思いやり、悪を許さない正義感の大切さを学びました。永さんは人生の師ですね。
 84年6月に公開された映画「もうひとつの少年期」に児童自立支援施設の職員役で出演したことや「仙八先生」のイメージがあって、少年院から講演依頼が来るようになりました。そして、関係者から保護司になってほしいと打診されました。戸惑いましたが、自分の立場を生かし、非行防止の啓発活動に役立てばと承諾しました。86年に法務大臣から委嘱され、現在まで任務を続けています。
 2005年9月には子どもたちに夢を与えようと、宮城県ゆかりの歌手の稲垣潤一さんや小柴大造さん、遊佐未森さん、俳優の中村雅俊さんらと「みやぎびっきの会」を立ち上げました。「びっき」は東北の方言でカエルの意味があり、オタマジャクシ(子どもたち)を育てようという目的があります。
 チャリティーコンサートを開き、宮城県内の小中学校が持つ楽器の補修費として寄付したり、東日本大震災の被災地支援の活動をしたりしています。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)


[さとう宗幸(むねゆき)]シンガー・ソングライター。本名は佐藤宗幸。1949年生まれ。東北学院大卒。78年に「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。テレビドラマの「2年B組仙八先生」や「独眼竜政宗」などで俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの「OH!バンデス」の総合司会者。最新曲は「あ・り・が・と・う・の歌」。仙台市泉区在住。


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2017年01月02日月曜日


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