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<さとう宗幸>復興の裏にある実情 伝えたい

東日本大震災の被災地で演奏会を開いた=2012年4月、岩手県陸前高田市

 大ヒット曲「青葉城恋唄」で知られる宮城県大崎市古川育ちのさとう宗幸さん(67)。「宗さん」の愛称で多くの人々に親しまれ、シンガー・ソングライターとしてだけでなく、俳優、テレビ番組の司会者と、さまざまな分野で活躍している。2018年にはデビュー40周年を迎える宗さんに、これまでの半生の喜怒哀楽を振り返ってもらった。

◎談 人生 仕事(5)

――2011年3月11日の東日本大震災発生時、さとうさんは仙台市で被災した

<日常の大切さ実感>
 震災発生時は、ミヤギテレビに向かう途中で、宮城野区内を自家用車で走っていました。緊急地震速報がけたたましく鳴り、慌てて路肩に車を寄せた直後、今までに体験したことのない激震に襲われました。無我夢中で泉区の自宅に戻り、悪夢の中にいるかのような一夜を過ごしました。
 翌12日早朝、新聞配達のバイクの音を聞いた時は、本当にホッとしました。あの音は生涯忘れないです。そして、当たり前のようにあった日常の大切さが身に染みました。震災では友人や親戚が亡くなり、胸がつぶれる思いをしました。

――その後は被災地の復興支援に尽くしている

 3月22日に特別編成でミヤギテレビの「OH!バンデス」が再開されました。世の中が混乱している時期でしたが、なるべく「日常」を取り戻すことを意識して出演しました。
 番組では「青葉城恋唄」を歌いました。僕の中では番組で最初に歌うのは、この曲と決めていて、何の迷いもなかったです。歌っている最中は涙が込み上げてきました。番組終了後は「震災前の日常を思い出し、涙が出ました」など、テレビ局に電話やメールが殺到したそうです。
 その年の3月下旬からは、避難所や仮設住宅などの訪問も始めましたが、被災者の思いが痛いほど伝わってきました。それだけに安易に「頑張ってください」という言葉は、言えなかったです。
 宮城県ゆかりの仲間のミュージシャンらでつくる「みやぎびっきの会」で、被災地の復興支援ソング「虹を架けよう」を作ったり、NHKの復興支援ソング「花は咲く」にボーカリストとして参加したりもしました。今もチャリティーコンサートは続けています。

――被災地に住む人間としての自覚も強い

<被災者と共に前へ>
 震災から5年半が過ぎましたが、不安や悲しみを抱えたままの人が、まだ大勢います。メディアに関わる人間として、「復興」という言葉の裏に隠された被災地の実情もきちんと伝えていく必要性も強く感じています。
 「被災者から元気をもらいました」という発言をよく聞きます。僕は被災地に住む人間として被災した人の悲しみや苦しみ、やりきれなさなど、つらい気持ちを受け止めながら、一緒に被災地の復興に向かっていくつもりです。
 大々的に復興支援コンサートなどと銘打って、押し付けがましく被災者の元を訪ねることはしていません。ただ、「宗さんに来てほしい」。こう被災地で踏ん張って生きている人に請われれば、万難を排して足を運ぶつもりでいます。これからも少しでも被災地にあかりをともすお手伝いができればと思っています。(聞き手は生活文化部・沼倉淳)

[さとう宗幸(むねゆき)]シンガー・ソングライター。本名は佐藤宗幸。1949年生まれ。東北学院大卒。78年に「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。テレビドラマの「2年B組仙八先生」や「独眼竜政宗」などで俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの「OH!バンデス」の総合司会者。最新曲は「あ・り・が・と・う・の歌」。仙台市泉区在住。


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2017年01月03日火曜日


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