山形のニュース

<ここにもレガシー>先人の思い脈々

先人たちが懸命に植えた備荒林内のスギの生育状況を確認する沓沢さん
1964年に建立された造林碑。当時の組合員144人の名前が刻まれている

 遺産(レガシー)。それは先人からの贈り物であり、現代を生きる私たちから未来の人々へのメッセージだ。有形、無形を問わず内容は多岐にわたる。新たな年の始まりに、東北各県に数多くある遺産の一端を再認識してみよう。

◎2017東北から未来へ(3)山形県真室川町 小国山備荒林

 山形県真室川町の中心部から北西に車で約20分。雪に覆われた広大な山林が目の前に広がる。
 「この辺が私たちが植えたスギ。根元が曲がっている木は雪の重みのためです」。小国山備荒林(おぐにやまびこうりん)生産森林組合の沓沢(くつざわ)宗男組合長(69)が説明する。
 備荒林は組合員による共有林。ただ、一般的な共有林とは少し違う。

<地域住民が共有>
 「備荒」を辞書で引くと「あらかじめ凶荒・災厄に対する準備をしておくこと」とある。いざという時のために地域住民が共有する全国的にも珍しい山林だ。
 備荒林という言葉を、誰が名称に加えたのかは分からない。
 曽祖父の代からの組合員で町職員の山田和寿さん(48)は「ひと冬を雪に囲まれて過ごす地域で、野菜や山菜を塩漬けにして保存する習慣が残る。不作に備え、先輩たちが山に目を向けたのは自然だったと思う」と推し量る。
 いざとなれば木を切り出し木材として売り、糊口をしのぐ。天災、飢饉(ききん)に備えた危機管理の山林だが、これまで凶作に見舞われることなく、本来の意味で木を切ったことはない。山を大事にしてきたおかげで大きな地滑りも起きていない。
 大正時代、農家の人たちが国有林を借り受け、薪炭用に丸太を切り出していたことが、後の小国山備荒林につながる。太平洋戦争の終戦から10年足らずの1954年、旧安楽城(あらき)村に約220ヘクタールが払い下げられ、後に小国を含む5集落144人の組合名義になった。
 「払い下げ費用はブナやナラの広葉樹を切って工面したようだ」と沓沢さん。
 自分たちの山。その思いから当時の組合員は朝早くから重いスギ苗を背負い、1時間はかかる山を目指して登り、植え付けた。下刈りも怠らなかった。雑木林を除き、10年余りで50ヘクタール余りを造林。その後、県林業公社に100ヘクタールの植林や手入れを委託し、その分の配当を受け取る契約を結んだ。
 「当時は木材の価値が今の何倍もあった。利益も十分に期待でき、『子や孫のため』と必死に頑張ってくれたと思う」。沓沢さんは思いをはせ、感謝する。

<林道整備を推進>
 だが、山林を取り巻く状況は厳しく変化した。ここ30年ほどは安価な外国産材に押され、国産材価格の低迷が続く。
 間伐収入も山の手入れに回し、組合員が配当を手にしたことはない。組合員数も過疎化などで100人を割り込んだ。山林への関心は下がっている。
 じり貧を打開しようと、組合は昨年11月に真室川町、山形森林管理署最上支署、県林業公社の3者と、備荒林や国有林計621ヘクタールを対象に、一体的な整備を可能にする森林整備推進協定を結んだ。協定締結で、林道網の整備が進み、間伐や伐採木の運び出しなど作業効率が向上して費用削減につながると期待される。
 「50年以上たち、いい状態になる木を生かせそうだ。危機に備えた先人の思いが次の世代にも引き継がれてほしい」。沓沢さんはそう願っている。(新庄支局・菅野俊太郎)


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2017年01月04日水曜日


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