福島のニュース

<3.11と今>柳美里 一人一人の物語紡ぐ

スタジオで被災者の話を聞く柳さん=昨年12月22日、南相馬市
柳さんが撮影し、ツイッターに載せた福島県富岡町の夜ノ森の桜。無人の公園で花びらが静かに散っていた=2011年4月21日

 「あの日のことを教えてください」
 気張らず。さりげなく。時に明るく問い掛ける。
 南相馬市原町区の市民文化会館の一角にある臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」特設スタジオ。芥川賞作家柳美里(ゆうみり)さん(48)がマイクに向かう。

◎ずっとそばに(5完)作家 柳美里さん=福島県南相馬市在住

 昨年12月下旬、同市鹿島区でボランティアを続ける70代と60代の地元の男性2人組がマイクの前に座った。2人は高校時代の思い出や、津波が押し寄せた東日本大震災当時の情景、東京電力福島第1原発事故が起きた際の心境を、とつとつと語り出した。
 番組名は「柳美里のふたりとひとり」。今年の正月でちょうど丸5年になった。柳さんと被災者2人組の対談形式で週1回の30分番組では、これまで約450人の声に耳を傾け、一人一人の「物語」をラジオで伝えてきた。

 突き動かすのは、かつて母が福島県只見町のダム湖のそばで言った言葉だ。「湖の下には家や桜があった」「誰かの豊かさのために、誰かが犠牲になる」
 柳さんの母は1950年に始まった朝鮮戦争で、朝鮮半島から只見町に移住した。母が中学、高校を過ごした只見の集落は、水力発電用のダムの底に沈んだ。原発事故で福島から避難する人々と、戦火に追われ、避難先でも移住を余儀なくされた母の姿が重なった。
 「失われてしまう被災地の風景を記し、新たな物語を紡ぎたい」
 そう思い立ち、2011年4月、原発周囲が警戒区域に指定される直前、福島県富岡町夜ノ森の桜を撮影し、自身のツイッターに投稿した。それを見た被災各地から「私たちの古里の桜も」と依頼が殺到。同県三春町の滝桜、宮城県大河原町の一目千本桜などを回った。桜が終わっても陸前高田市や気仙沼市などを巡り、思いをつづってきた。

 その後、ひばりFMから「被災者の声を聞いてほしい」と出演依頼があり、二つ返事で承諾した。15年春には、当時住んでいた神奈川県鎌倉市から南相馬市原町区に引っ越し、腰を据えた。南相馬は祖父が働いていたゆかりの土地だった。
 今、最も心を砕くのは同市小高区のこれから。避難区域に指定され、約1万2800人が避難した。昨年7月に避難指示が解除されたが、帰還した住民は1000人余りにすぎない。
 福島は放射能や偏見という目に見えないものに苦しんでいる。「だから目に見えない『文化』をここから発信し、対抗したい」
 今春、小高商高と小高工高が統合し、小高産業技術高になる。柳さんは閉校する二つの高校で「表現」の授業を担当。新高校の校歌の作詞もした。歌い継がれることを願い、生徒や卒業生らに小高の象徴的な地名を募り、織り込んだ。「あの日」で止まった時間を、「今」につなぐように。
 「今年は小高区に引っ越す。教え子たちが集えるカフェを併設した書店を開きたい」。居場所こそ物語が生まれる場。「その手伝いをしたい」。自らも被災地を舞台にしたファンタジー小説を構想中だ。
 住民一人一人の物語づくり。だから、これからも聞き続ける。「あの日のことを教えてください」(報道部・菅谷仁)


2017年01月06日金曜日


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