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<ここにもレガシー>東北の農家救う

「愛国」発祥の地の記念碑の前で、思いを巡らせる菊池さん(左端)たち
愛国を使った日本酒「賜候」とドレッシング=宮城県丸森町の斎理屋敷

 遺産(レガシー)。それは先人からの贈り物であり、現代を生きる私たちから未来の人々へのメッセージだ。有形、無形を問わず内容は多岐にわたる。新たな年の始まりに、東北各県に数多くある遺産の一端を再認識してみよう。

◎2017東北から未来へ(6完)宮城県丸森町・主要米の先祖「愛国」

 「コシヒカリ」「ササニシキ」「ひとめぼれ」の先祖とされるコメがある。「愛国」。明治後期から昭和初期にかけ、盛んに作付けされた。
 米どころ宮城県の南部、丸森町が発祥地とされる。同町舘矢間(たてやま)まちづくりセンターの敷地に幅約2メートル、高さ約1.2メートルの黒御影石の記念碑が立つ。
 「のげ(穂先に生えるとげ)が緑色でなく、古代米と同じように赤紫色になる。コメの歴史の重さを感じながら作っている」
 碑の建立に加わり、舘矢間で農業を営む町議会議長の菊池修一さん(60)が語る。10年近く前から農地のうち30アールで酒米用に愛国を作付けしてきた。
 愛国の起源は舘矢間の蚕種家、本多三学に1889(明治22)年、静岡県の同業者から当時ほぼ無名の種籾(もみ)が送られたこと。収量が多く、冷害に強い。栽培は東北や北陸など東日本一円に拡大した。当時の地元・伊具郡の役人が付けた「愛国」の名は、凶作に悩む東北の農民救済の切なる期待を物語る。
 品種改良にも活用され、さまざまな品種のルーツとなった。終戦直後まで栽培されたが、後に忘れ去られた。2009年、愛国のルーツを丸森だと確定する論文を元宮城県古川農業試験場長の佐々木武彦さんが発表。町内に再評価の機運が高まり、翌10年に碑が建立された。同時に古川農試から苗を譲り受け、栽培も再開された。
 菊池さんの収量は、水田1反(約10アール)当たり7俵(420キロ)。「今の品種と比べて多くはないが1反3〜4俵の当時、農家は目を見張っただろう」と想像する。

<商品化に広がり>
 愛国を使う商品も生まれた。日本酒「賜候(たまわりそうろう)」は、町観光物産振興公社が11年に会津若松市の酒蔵に依頼して開発。酒かすを使ったドレッシングは生産者グループ「丸森町ヤーコンプロジェクト」が商品化し、「ゆず」「甘柿」など5種類ある。ヤーコン加工部会の宍戸志津子部長(58)は「酒かすを入れるとコクが出る。地元産の原料にこだわった」と笑顔で説明する。
 動きは町内にとどまらない。明治期に親類が栽培普及に尽力した大沼酒造(宮城県村田町)は、06年から「乾坤一」ブランドの一品として愛国を100%原材料にした純米酒を販売している。「伯楽星」などの新澤醸造店(大崎市)も14年、個別酒販店向けに愛国100%の特別純米酒「思愛(おもあい)」を製造。今は原料調達難で休止中だが、生産再開も視野に入れる。
 愛国の栽培は今春、わずかに広がる見通しだ。舘矢間の里山保全活動を行うNPO法人「あぶくまの里山を守る会」が耕作放棄地約10アールで作付けを計画する。
 大槻博理事長(64)=丸森町=は、ササニシキの父「ササシグレ」の復活を図る大崎市のNPO法人の幹部。昨年秋に宮城県加美町であった収穫祭で、古川農試の永野邦明場長(58)が紹介した愛国の由来に心を動かされた。「丸森の誇りを復活させたい」と誓う。
 日本の食を支えるコメ。その系譜に宿る熱意は時代を超えて人々を魅了する。(角田支局・会田正宣)


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2017年01月08日日曜日


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