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<円谷幸吉>生真面目さ 父の影響

五十回忌を迎えた8日、墓参りの後、円谷がかつて走った川べりを歩く兄の喜久造=須賀川市大町

 戦後最大のイベント、東京五輪が生んだ英雄、円谷幸吉が亡くなって五十回忌を迎えた。27年の短い生涯を駆け抜けた円谷の姿はわれわれに何を残すのか。(宮田建)

◎敗れざる人(2)古里の原風景/田園を犬と駆けた少年時代

 須賀川市は福島県のほぼ中央に位置する。奈良・平安時代から交通の要衝として栄え、江戸時代は奥州街道屈指の宿場町でもあった。当時も今も俳諧が盛んで、俳聖松尾芭蕉がおくのほそ道の道中、8日も滞在し地元の俳人と交流している。
 円谷幸吉(1940〜68年)の生家は町の中心部から南に1キロほど下った所にあった。周囲は田畑が広がり、どこにでもある片田舎だった。ちなみにウルトラマンやゴジラを生んだ「特撮の神様」円谷英二(01〜70年)の生家には、円谷家から歩いて行ける。
 幸吉の強い責任感、我慢強さは育った家庭環境、特に父親の影響が大きいという見方が専らだ。

<6男1女の末っ子>
 幸吉は、銃剣術の達人だった元軍人の父幸七と仏のように優しい母ミツの間に生まれた。6男1女の末っ子だった。しつけに厳しく、近所では雷おやじで知られた幸七も幸吉には少し甘いところがあった。幸吉も兄や姉の叱られる姿を見て育ったためか、余計なことは言わない子だった。
 子守もした姉の岩谷富美子(82)=東京都=は「みんなからかわいがられた。ねえちゃん、ねえちゃんって後ろをくっついて歩いていた」と懐かしがる。
 集落において、子どもが幼少期から農作業や家の手伝いをするのは当たり前だった。幸吉の日課はヤギの乳搾りと風呂たき。それが終わると近くの須賀川へ飼い犬の秋田犬と駆けっこに行った。走るのが大好きだった。
 実はこの散歩が、後に幸吉を苦しめる腰痛の原因になったと言われる。時に飼い犬に振り回されてしまい、股関節を痛めた。いつしか左右の脚の長さがいびつになり、腰に負担が掛かるようになった。4番目の兄喜久造(84)=須賀川市=らきょうだいたちは、幸吉の「腰がいてえ(痛い)」とべそをかいている姿をよく覚えている。
 無口で目立たない、おとなしい少年。腰に後遺症を抱えながらも、一人田園を犬と駆けていた。

<素手でトイレ掃除>
 彼の人となりを物語る有名なエピソードがある。メキシコ五輪銀メダリスト君原健二(75)=北九州市=が証言する。代表合宿の思い出だ。練習の汗を流そうと風呂場に行くと、円谷は脱衣所で下着も丁寧に畳んでいる。「実にきちょうめん。こんな人はいないと、つくづくそう思いました」
 小中学校時代の同級生たちも、幸吉少年の「心の風景」を語る。「トイレ掃除なんかは皆が棒で雑巾を押すのに、幸吉は素手で雑巾を持ち便器も床も磨いた」
 この愚直なまでの真面目さはどのようにして身に付いたのか。これも幸七の存在が大きい。
 喜久造によれば、幸七は小学校の運動会を見に行った後、徒競走に出場した幸吉らを並べ、「後ろをきょろきょろ見るような、めぐせえ(見苦しい)ことはすんな」と怒った。
 だからだろうか、円谷は東京五輪のマラソンで国立競技場に2番目に入ってきてから一度も後方を振り返っていない。あの時、一度でも後ろに迫るヒートリー(英国)を見ていれば…。
 大観衆の前で抜き去られたことで悲運のメダリストになった円谷。良きにつけあしきにつけ、その生き方には須賀川の原風景が影を落としている。(敬称略)


2017年01月10日火曜日


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