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<高政>復興 ライバルと担う

未曽有の大災害を経てライバルは復興を担う仲間となった。(左上から時計回りに)高政の旧工場を借りたマルキチ阿部商店の社員ら、他社商品も扱う高政の直売所、再建されたマルキチ阿部商店の本社工場、震災後の宮城県女川町中心部のコラージュ

 東北の日常が断絶したあの時。被災地の企業はどう動いたのか。自ら被災しながらも、地域や住民に尽くした企業市民の姿を追う。

◎トモノミクス 被災地と企業[7]第1部 衝動(4)たずさえる

 地域経済の光は、いったんついえたかに見えた。
 宮城県女川町は東日本大震災で市街地の8割が水没した。基幹産業の水産加工業48社のうち44社が壊滅。町の就業人口の2割を占める約1200人の従事者は、多くが職を失った。
 「命が助かった人も職場をなくした。働き盛りの世代が町を離れてしまう」
 笹かまぼこなどを製造する高政(たかまさ)の企画部長高橋正樹さん(41)は危惧した。
 実際、町内では撤退する大手企業が現れた。震災から間もなく、二つの工場が被災した日本水産(東京)が再建を断念した。従業員は158人いた。
 地域に育てられ、共に生きてきた企業にとって、町の衰退は死活問題だった。
 幸い、高政は壊滅的な被害は免れた。本社と工場は、津波が直撃した女川湾とは牡鹿半島の付け根を挟んで反対側にある。激しい揺れで設備が損壊したが、浸水被害はなかった。
 水産業の灯は消せない。まずは自社の復旧を急いだ。4月の新卒採用者約30人を含む従業員約130人の雇用は維持した。電源車を確保し、震災の9日後に揚げかまぼこの製造を再開。夏には前年に着工した新工場が完成した。
 既存の工場と冷凍・冷蔵庫を空けた。これをどう使うか。女川港周辺は地盤のかさ上げが終わらないと工場が新設できない。この間、他市町に地元企業が流出する恐れがある。
 高政は9月、町内の同業3社に旧工場や設備を無償で貸し出すことを決めた。「仲間をむざむざ失いたくない」(高橋さん)。復興のたいまつは多いほどいい。ライバルは復興を担う同志となった。
 その一つ、従業員12人のマルキチ阿部商店は女川港近くの工場、直営店を津波で流された。いったん石巻市の鮮魚店に間借りして製造を再開し、11月に高政の旧工場に移転した。
 阿部淳社長(42)は「女川を思う心は高政と同じ。工場を借りられたおかげで再建の足掛かりができた」と感謝する。高政では2年半を過ごし、町内の別の地で再建を果たした。
 高政は、今も新工場隣の直売所でライバルの競合商品を販売する。インターネット通販サイトでも他社製品を扱う。操業再開にこぎ着けたものの、売り場を失った業者がいたからだ。優先すべきは競争ではない。女川全体の水産業復興だ。
 生き延びた企業が手を携え合い、女川の水産業は着実に息を吹き返している。
 「15年冬にやっと評価に見合った賞与を社員に出せた」。高橋さんは顔をほころばせる。売り上げは震災前の約20億円から30億円超に伸びた。従業員は206人と倍に増えた。
 「利益は地域と社員の幸福の源泉」。高政の経営理念には、もうけの意味が明確にうたわれている。
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 企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難(かんなん)の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ。


2017年01月11日水曜日


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