福島のニュース

<私の復興>自然の力信じ暮らす

教会の日曜礼拝で、境野さんの周囲に談笑の輪が広がる。前向きな明るさ、心(しん)の強さが人を引き寄せる=福島市

 世の中にこんなおいしいものがあっていいの−。そう思っていた玄米と豆腐、にんじんジュースが喉を通らない。全身が痛い。気持ち悪い。昨年10月中旬から約2カ月入院した。

◎震災5年10カ月〜福島市 生活評論家・境野米子さん

 福島市の生活評論家、境野米子(こめこ)さん(69)は、健康や料理、化粧品など暮らし全般について多数の著書を持つ。長年、自然食を実践してきた。
 一時は進行性の腎臓がんを疑われ、余命数カ月を意識した。確定診断は国指定難病のANCA関連血管炎。一命は取り留めた。
 人生、やるだけのことはやってきた。クリスチャンでもある。死への抵抗はなかったが、「自分の考え、計画だけに頼る生き方がいかにもろいか。根底から思い知らされた」と言う。
 委ねる。認め合う。その大切さを改めて感じた。東京電力福島第1原発事故から6年近く、考え続けてきたことでもあった。

 2011年初夏、事故後初めて庭の草を取った。以前と同じ、かぐわしかった。「セシウムがいっぱい付いている。だけど、草は変わらず芽吹く。人は皆、毒されて、相互不信や恐怖に陥った。顔つきさえ変わってしまったのに」
 事故前からの原発反対派。度々専門家を招き、勉強会を開いた。「どの新聞社にも後援を断られた」。放射能への不安、事故への怒りを忘れてはいけない。でも負けてばかりもいられない。草に触れ、変わらぬ福島の自然の美と力を感じた。「感激した。私はこれでいい。セシウムと暮らしていく」。心が定まった。
 13年まで8年間、県教育委員だった。県内外で避難者と語り合った。県外避難を続けたくても、戻らざるを得ない親子がいる。「何を食べていいのか分からない」。切実な声に胸を打たれた。ゆでたり、塩や酢に漬けたりすれば、セシウムは減らせる。食物からの内部被ばくを少しでも減らそうとレシピを考え、発信した。
 現在は、土壌対策や時間の経過が進み、福島県の農産物から放射性物質はほとんど検出されない。しかし、福島産というだけの理由で拒む消費者はまだ多い。その姿にかつての自分を重ねてしまう。

 1980年代、消費者団体をつくり、農薬空中散布の反対運動を推進した。有機無農薬野菜の共同購入にも取り組んだ。生産者に厳しい基準を突き付け、一切の妥協を認めなかった。
 「人の営みが農薬を作り、原発を造った。生産者だけに重荷を背負わせるのはおかしい、と今は思う。消費者と生産者は力を合わせないといけない」。いたずらに福島産を排斥するのはやめようと呼び掛ける。
 放射性物質は日本中にばらまかれた。全国の原発にも大量にある。「福島は危険で自分は安全。電気による便利さは享受する。そんな思考は幼い。不寛容な傍観者ではなく、未来の命を見詰め、何をするか考えてほしい」。復興の先に安全な世界をつくる鍵がある。
(報道部・中島剛)

●私の復興度・・・非常に低い

 山菜や野草を食べる。草花で化粧水を作る。枯れ枝をいろりで燃やす。野山を転げ回って遊ぶ孫の笑い声を聞く。当たり前だったことが難しい。採ったものは測定してセシウムが少なければ食べるが、量が採れず測れないものがある。サフランご飯なんか今は夢。道路や建物は復旧したかもしれない。でも里山の暮らしの彩りは戻っていない。


2017年01月11日水曜日


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