宮城のニュース

<伊達政宗>青年期〜晩年 書状が交友語る

中森さんが寄贈した政宗の書状について解説する佐藤さん=大崎市役所

 宮城県大崎市が11日、報道機関に公開した仙台藩祖伊達政宗の書状と公文書計6点は、政宗の青年期から晩年までと書かれた年代が異なる上に、書状の宛先も他藩の藩主やシンパ、息子とさまざま。専門家も「政宗の交友関係や酒癖まで分かる貴重な史料」と評価を与える。
 寄贈したのは岩出山出身の元会社役員中森高(たかし)さん(84)=神奈川県藤沢市=。中森家は岩出山伊達家の家臣の家柄で、中森さんは首都圏の岩出山出身者の親睦会「東京有備会」の会長を務めたこともある。地元に藩制期の史料が残っていないことに心を痛め、政宗の書状などを私財を投じて収集してきた。
 「いずれ古里の岩出山に寄贈するつもりで、50代の頃から集め始めた」と中森さん。元仙台市博物館長で、政宗の書簡研究の第一人者佐藤憲一さん(68)=美里町=の助言を仰ぎ、古美術市場で7点を集めた。
 今回寄贈したのは本文、花押(かおう)(書き判)とも政宗直筆のもの2点、本文は右筆(ゆうひつ)(秘書官)が書き、政宗が署名したもの3点、政宗の黒印が押された公文書1点の計6点。
 最も早い時期のものは、政宗が数え21歳の時に田村氏(政宗の妻愛姫の実家)の親伊達派家臣に送った、天正15(1587)年10月18日付の書状。山形の最上義光にそそのかされて謀反を企てた家臣を成敗したいきさつが、右筆の手でつづられている。
 寛永9(1632)年1月16日付の直筆書状は、仙台藩2代藩主となる次男の忠宗に宛てたもの。江戸城内にあった徳川家康の霊廟(れいびょう)への参拝を延期する旨が記されている。徳川家光に将軍職を譲り、隠居していた徳川秀忠の病状悪化を考慮したとみられる。秀忠は同月24日に死去した。
 寄贈品は旧有備館(同市岩出山)で今秋にも一般公開予定。佐藤さんは「書状は21歳から68歳までにわたり、有名なセキレイの花押の形が年を追って変化する様子も分かる。政治的な状況も浮かび上がってくる」と評価する。


関連ページ: 宮城 社会

2017年01月12日木曜日


先頭に戻る