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<あなたに伝えたい>生かされた命 今日を大事に

研耕さん(左)と貞子さん
パソコンに残っていた研耕さん、貞子さんの写真を見る秀俊さん

◎小野寺秀俊さん(宮城県松島町)から研耕さん、貞子さんへ

 秀俊さん 地震発生時、私たち夫婦は仙台市に出掛けていて、東松島市に車で戻ったのは夜でした。翌朝、避難所に行きましたが、父と母はいませんでした。何とか自宅に向かい、がれきで埋まった1階で、父を見つけました。既に冷たくなっていました。
 母とは1カ月後、遺体安置所で対面しました。おばあちゃん子だった私の次女が、遺体の耳の特徴から「間違いない」と言いました。実は前の晩、母が夢に出てきたんです。
 父は小学校教師で、受け持ちの子どもたちのことをいつも考えていました。母は80歳で富士山に登る健脚の持ち主でした。いつでも2人、何をするにも2人。仲のいい夫婦でした。震災の1年前、福島市の花見山公園に一緒に出掛けました。写真に写るとき笑顔を見せない母が、珍しく柔らかい表情をしたのを鮮明に覚えています。
 私たちは震災後、宮城県大郷町に1年半借家住まいし、近所の人や友人、親戚の方々には大変お世話になりました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
 現在は松島町の高台に住んでいます。震災が縁でいろんな方との出会いがありました。知人の紹介で、伊達政宗の長女五郎八(いろは)姫の霊廟(れいびょう)の漆塗りや竹細工の手伝い、松島名勝ボランティアガイド、町内会役員など地域でできることから活動してきました。
 生かされた命。両親の分も頑張らなければとの思いです。明日を信じて、今日を大事に。

◎いつでも2人 仲良かった両親

 小野寺研耕(けんこう)さん=当時(84)=、貞子さん=同(82)=夫婦 長男の秀俊さん(68)、恵子さん(63)夫婦と東松島市のJR仙石線野蒜駅近くで暮らしていた。東日本大震災の発生時、研耕さんと貞子さんは自宅にいて、津波に襲われたとみられる。


2017年01月15日日曜日


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