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<河北新報120年>地方と町方で好循環

わしだ・きよかず 1949年京都市生まれ。京大大学院博士課程単位取得。関西大教授、阪大総長などを経て、2013年にせんだいメディアテーク館長。15年から京都市芸術大理事長・学長。著書に「『聴く』ことの力」「しんがりの思想」など。

◎哲学者・せんだいメディアテーク館長 鷲田清一氏

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で私たちは、二つの「制御不能」に直面した。天災は防ぎようがないと再認識したし、原子力は人間が制御できないメカニズムだった。
 だが制御不能は既に生活全般に及んでいる。例えば食材の流通や就労状況もグローバル市場に左右され、暮らしを翻弄(ほんろう)している。
 これを民意で制御できる社会、いつでも立ち止まれる社会へと作り替えていくためには、どれぐらいのサイズの共同体がいいのか。そういう課題を可視化したのが「3.11」だった。
 もう「中央」対「地方」の図式で物事を捉える時代ではなくなった。昔は地方を「じかた」と読んでいた。「ちほう」という概念を捨てて「じかた」と考える方がいいと思う。
 じかたの対義語は「町方(まちかた)」。地方(じかた)は町方に食料を売り、日用品を買う。そういう循環関係、定常経済が成り立つ「藩」サイズのコミュニティーがたくさん自立分散している状態こそ、東北が目指すべき姿だろう。
 東北は「つくる」ことを大事にしてほしい。近代は生活基盤のほとんどを金で「買う」。だが本当に安心できるのは、買わなくても誰かが助けてくれる暮らしの方だ。買う社会をつくる社会に戻す必要がある。
 誰もが公共を担う一員としての意識を持ち「市民」の名刺をもう一枚持つ東北を望みたい。行政任せではなく「みんなのもの」をみんなで担っていく。今まで任せすぎた結果、いざというときに何もできなくなってしまった。
 さらには次世代に極端なほど手厚い東北を目指してほしい。東北の大学は授業料をただにするのもあり。戦後、首都圏に多くの若年層を送り出してきた。その分を取り返すぐらい若者の集まる地域にするのが、これからの東北の使命だ。


2017年01月17日火曜日


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