広域のニュース

<河北新報120年>再生の道伝え歩む

津波で社殿が流された八重垣神社の女性宮司を取材する安達記者。困難を乗り越え、神社は今年夏、元の場所に再建される=9日、宮城県山元町
陸前高田市の成人式で、新成人に取材する坂井記者。震災で野球部のチームメートを失った若者たちの言葉に、丹念に耳を傾けた=8日

 河北新報社は17日、創刊120周年を迎えた。東日本大震災が突き付けた困難と向き合う東北は、再生を期して歩む長い道の中に今もある。一人一人の社員は復興の扉を押し開く力になろうと決意を心に刻み、紙面作りなどそれぞれの持ち場で奔走している。津波で被災した沿岸部の支局に昨年4月赴任し、もうすぐ1年になる2人の記者が心に抱く思いをつづった。

◎心に生きる「亡き人」/亘理支局

 宮城県の亘理、山元両町が取材エリアの亘理支局に赴任した昨春以来、自分自身は生前に一度も会ったことのない、東日本大震災の犠牲者の生き方に触れる取材をする機会が増えた。山元町の中村雅知さん=当時(73)=もその一人だ。
 <ごみを出してから、海岸を自転車で回るのが至福の時>。遺品の手帳にあった日記のような走り書きが印象に残っている。
 私は震災前に山元の沿岸を訪れたことがない。荒れ地が広がる今の風景しか知らないのに、走り書きを目にしたら松林の向こうから潮騒が聞こえた気がした。
 中村さんは教育心理学の研究者で「仙台傾聴の会」でアドバイザーを務めていた。今、会で学んだ「孫弟子」たちが、山元で傾聴活動に取り組んでいる。
 活動は妻怜子さん(76)が理事長を務める介護施設でも行われている。亡き夫の仕事が引き継がれ、災後を生きる妻を勇気づけていると知った。心が震えた。
 震災から5年10カ月が過ぎたが、なかなか前を向けずにいる人もいる。
 子を失ったある母親は「私、心が壊れているの」と話した。どう答えたらいいのか分からなくなる。そうした一つ一つの言葉が、この地に腰を据えて取材することの意味を日々問い直す手掛かりになっている。
 取材で知ることができるのは犠牲者の人生のほんの一部だけれど、どんなに短い一生でも、残された人の思いや生き方に深く影響していることを実感する。
 亘理、山元両町では合わせて943人の住民が震災で犠牲になった。ここに生きる人の言葉の向こうに、出会ったことのないたくさんの人たちがいる。そう思って取材を続けている。
(亘理支局・安達孝太郎)

◎命の重みかみしめる/大船渡支局

 陸前高田市で8日にあった成人式。東日本大震災で亡くなった野球部のチームメート2人の遺影を抱く新成人たちがいた。震災当時は中学2年生。幼い頃から一緒の日々を過ごした。
 進学で陸前高田を離れても、帰省すると墓参りする。誕生日には好きだった菓子を買ってくる…。話は尽きず、事前の取材に5時間も付き合ってくれた。
 「あいつらの時間が止まったわけでない。ずっと俺らのメンバーで、一緒に年を取っていく」。震災から間もなく6年。思春期に大きな喪失に直面しながら、共に生きようとする若者たちの言葉は力強かった。
 震災時に北上支局で勤務していた私は、翌日から陸前高田市や大船渡市に入った。あまりの惨状にぼうぜんとするしかなかった。
 2年後に岩手から異動になっても現地のその後がずっと気になっていた。仙台の本社勤務を経て昨年4月、大船渡支局に赴任した。
 これまで取材でお世話になった人々を訪ねた。妻と幼い娘を失った男性は新居の災害公営住宅に、変わらずたくさんの家族写真を張っていた。息子が行方不明の男性は新たな命の誕生を励みにする一方で、子を守れなかった自責の念を背負っていた。
 それぞれがあの日と向き合いながら今を生きているのだということを、ひしひしと感じた。
 世の中の流れはとどまらず、「もう震災の話はいい」「そっとしておいて」といった声もあるだろう。
 いじめや虐待などでも命が奪われる社会の中で、被災地で絶望の先を生きる人々の姿や言葉は何年たっても読者の心に届けていく必要がある−。命の重さをかみしめ、岩手の地で再び取材を重ねている。
(大船渡支局・坂井直人)


2017年01月17日火曜日


先頭に戻る