福島のニュース

<被災地スポーツの力>美しい波に希望託す

避難指示の解除後に稼働を再開した工場で、サーフボードを製造する室原さん

 大好きな潮風に触れられる古里に帰ってきた。東京電力福島第1原発事故による避難指示が昨年7月で解除された福島県南相馬市小高区。サーフボード製造会社「MSP」を営む室原真二さん(48)は今月4日、東日本大震災後に休止していた工場の稼働を再開させた。福島県サーフィン連盟理事長の室原さんは、国内有数の波乗りスポットである同市北泉海岸の復興にも尽力。「サーフィンで地元を再生させたい」と夢を描く。

<真っ先に帰還>
 自宅に隣接する200平方メートルの工場で、4人の社員が忙しく作業する。コンピューターの入力データに合わせて自動的に材料が削られ、サーフボードが次々と仕上がっていく。当たり前だった日常が、6年近くたって戻りつつある。
 震災時に1万2842人いた小高区の居住者は今月19日現在1132人に。避難指示の解除後も帰還の足取りが鈍い中、室原さんは真っ先に戻った。「再開した企業では一番(年齢が)若いはず。ここで育った者の手で古里を復興させたかった」と思いを語る。
 高校3年でサーフィンを始め、自宅から車で15分ほど離れた北泉海岸に足しげく通って波に挑んだ。「季節を問わず良い波が立つ」。太平洋に面した海岸線が織りなす自然の恵みにほれ込み、全国から訪れる多くの愛好者と交流を深めた。
 アマチュアのサーファーとして活動後、2006年に会社を設立。経営の傍ら、世界大会などの運営に携わり、浜辺のにぎわい創出に一役買っていた。「古里の海の素晴らしさをもっと全国に伝えたい」。熱意を持って打ち込んだ取り組みが津波に阻まれた。

<120点の古里を>
 きれいに整備されていた海岸はがれきに埋まり、浜から人影が消えた。避難指示で工場も福島市への一時移転を余儀なくされた。「ゼロというよりマイナス。全てがパーになった」。絶望の中でも「良い海があってこそ人が集まる」と古里への思いは捨てなかった。
 13年に浜で仲間と開いた慰霊祭を期に、自粛していた活動を再開。海岸の清掃活動や放射線物質の検査に取り組み安全性をアピールすると、海岸の復旧工事の進展とともにサーファーが戻り始めた。15年に震災後初の大会を「復興祭」と銘打ち、昨年7月に行った全国規模の大会には200人が集まって技術を競った。
 市の復興事業により、駐車場、トイレ、シャワーなどの施設の復旧は今秋にも完了する見通し。室原さんは今後も大会開催などを通じ、全国のサーファーを迎える。工場も400平方メートルに拡張し、従業員も増やして生産規模の増強を図る。
 「震災前が80点程度だったとしたら、これからは120点の古里を目指す。サーファーを呼び、雇用を増やすことで、海を中心にした街の活性化を図りたい」。昔と変わらない美しい波に再生への希望を託す。
 東日本大震災で被災した東北の主なサーフスポットでは、仙台新港(仙台市)菖蒲田浜(宮城県七ケ浜町)荒浜(同県亘理町)浪板(岩手県大槌町)豊間(いわき市)などで既に活動が再開されている。(原口靖志)


2017年01月20日金曜日


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