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<仙台いやすこ歩き>(50)藻塩/神事倣い伝統の味わい

 冬の田園風景を眺めながらガタンゴトン。橋を渡るたび、カモや白鳥の姿に旅気分を楽しみながら、やって来たのは塩釜市。「塩釜って、本当に塩の釜って書くんだよね」「ほんとね」といういやすこの会話は、決して正月ぼけの延長ではない。今回、2人が目指したのは藻塩なのである。
 マリンゲート塩釜から先へ進んだ工業地帯の一角、藻塩作りの工場で迎えてくれたのは、合同会社「顔晴(がんば)れ塩竈(しおがま)」の技術責任者である及川文男さん(68)と、大きな釜。もうもうと湯気が上がる中、及川さんの話は始まった。
 「塩釜の塩作りは縄文時代から。3000年前の製塩土器も発掘されているんだよ」。神様がつくり上げた塩のまちの原点に立ち返って、まちおこしをしようと2007年、有志が「顔晴れ塩竈」を立ち上げた。
 塩釜市の御釜神社に伝わる藻塩焼神事に倣った製法で藻塩作りを開始。ところが、東日本大震災でここにも3メートルの津波が押し寄せた。「それでも、竈(かまど)と神棚は残った」という。
 今、目の前で展開されているのが、はるかな昔につながる製法だと思えば感慨深い。釜は約1.5メートル×2.5メートルの角形で、それを石組みの竈が支えている。「この竈こそ塩釜の地名の由来。昔から塩作りが盛んだったことを示しているんだよ」と及川さん。確かに、塩釜(しおがま)の「がま」の字は正式には「竈」だ。
 重油を燃やす竈からはゴーゴーとごう音が鳴り響く。そこに載った釜の中には海の水。七ケ浜沖でくみ上げた海水を、そのままではなく海藻(ホンダワラ)の上から流して濃い塩水を作り、釜で煮る。
 30%まで煮詰め、すくったのが「一番塩の花」と呼ばれる結晶だ。ピカピカと霜のようで、中には何とピラミッド形の結晶(!)も。細い筋が段々に入り、まさにピラミッドそっくりだ。「年に何回か一辺4〜5センチの大きな結晶ができる。それを『塩の女神のいたずら』と呼んでいるんだ」と及川さん。
 この煮詰めた海水を再び注ぎ、今度は大鍋で煮ていくのだが、その間4〜5時間かき混ぜ続けるのだという。そして藻塩は出来上がる。途中冷やしたり、乾燥させたりを含めて5日間の工程で完成した塩は、さらさらきらきらと神々しいばかりに清らか。及川さんはこの塩を竈の前の盛り塩に足した。
 ここはいやすこ、味見比べだ。一番塩の花は瞬時にきりりとした塩辛さが走り、深い味わいが続く。一方、2回煮詰めて出来た藻塩は甘みの後にゆっくりと優しい塩辛さ、最後に甘味がふわりと豊かだ。全く違う。
 「生命をつなぐ食べ物の基本は塩。点滴の中身も生理食塩水とブドウ糖なんだよ。昔、塩は高価なもので、ローマ帝国では道を造る労働への給金は塩だった。塩はサラリー。サラリーマンの語源だね」
 及川さんの話す塩の世界に引き込まれること、しばし。「塩ってすごい」「今年も足三里に塩して頑張ろう」と塩の聖地から歩き出した2人である。
 帰って天ぷらに添えた藻塩も仙台で手に入れた藻塩のかかったサブレも、塩が味わいを引き立てるのをしっかり感じた。

◎中世に全国で盛んに製造

 塩(塩化ナトリウム)は人の生命維持になくてはならない物質である。中国では紀元前6000年には運城塩湖で水面に浮いた塩の結晶を採っており、湖の利権を巡って戦いが絶えなかったと伝わる。
 日本では、海水に含まれる3%弱の塩を取り出そうと古人は知恵を絞ってきた。
 日本古来の藻塩作りは世界でも独特のものである。起源は定かではないが、百人一首の歌からも中世には全国で藻塩作りが盛んだった様子がうかがえる。塩釜神社の境外末社の御釜神社では毎年7月4日から3日間、藻塩焼神事が行われる。
 「顔晴れ塩竈」は、震災後いち早く再開したものの、2015年、採算性の問題から廃業の方針を発表。しかし、継続を望む声が大きく、それを力に昨夏、再出発した。2種類の塩を販売。塩と地元の酒・魚との「3味一体」の商品開発も進めている。
 塩釜市や仙台市の菓子店では、藻塩を使ったクッキーや生キャラメル、サブレなどを開発し、販売している。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


2017年01月23日月曜日


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