岩手のニュース

<成長のひずみ>公害教訓に環境意識

戦後の経済成長をけん引した釜石製鉄所。そびえ立つ煙突群は繁栄とともに公害被害をもたらした=1969年、釜石市内

 CSR(企業の社会的責任)の水脈をたどると先人の無私、公益の精神に行き着く。商人や企業にはそれぞれの時代、社会的責任を自覚し、社会貢献に動く姿があった。(「被災地と企業」取材班)

◎トモノミクス 被災地と企業[10]第2部 水脈(2)あゆむ

 「コーロ」
 岩手県釜石市民にとって郷愁を帯び、特別な響きを持つ。製鉄所の高炉は雇用を、富を生み出す象徴だった。
 近代製鉄業発祥の地、釜石。敗戦を挟み、約130年間、釜石製鉄所は日本の経済発展をけん引した。高度成長下の1960年代、人口は現在の2.6倍の9万を超え、街は活気づいた。「鉄は国家なり」。釜石の姿は、工業大国の道をひた走る日本の縮図だった。
 ひずみも極限に達した。煙突から排出されるすすや灰は空を覆い、家の中の机や畳を真っ黒にする。洗濯物は屋外に干せない。釜石の繁栄は「降下ばいじん量日本一」という犠牲の上に成り立っていた。

 「公害」は成長の副作用だった。企業が利益拡大をひたすら追求した時代。その活動は水質汚濁や大気汚染を伴い、日本をむしばんだ。熊本、新潟両県の水俣病、三重県の四日市ぜんそく、富山県のイタイイタイ病など、産業公害による住民の健康被害が相次いだ。
 環境を無視した振る舞いに消費者は企業不信を強め、公害は社会問題化していく。国は67年、公害対策基本法を制定。その後、企業の論理に組み伏せられていた消費者の権利保護を重視する流れが強まった。
 ここに近代日本のCSR(企業の社会的責任)の源流が生まれる。
 新日鉄(現新日鉄住金)釜石製鉄所は73年、市と公害防止協定を結ぶ。大気汚染を抑える設備を導入し、ばいじん量は激減した。

 かつて、鉄の町に灰を降らせた高炉。その技術は東日本大震災で発生したがれき処理の救世主になった。
 震災後、津波で泥だらけになり、リサイクルできない自動販売機や大型家電製品の処分が問題化した。元市環境課長の岩間成好(しげよし)さん(59)は「清掃工場は一般ごみで手いっぱい。膨大ながれきの扱いが宙に浮いた」と証言する。
 市は2012年2月、震災直前に閉鎖した旧清掃工場を再稼働させた。新旧の工場は一般的な焼却炉型ではなく、ともに高炉技術を生かした溶融炉式だった。
 1800度の高温で可燃ごみ、不燃ごみを問わず何でも溶かす。廃棄物の分別が不要で飛灰が少ない。残りかすは道路資材や金属資源として活用できる。14年3月までに約4万3000トンのがれきを処理した。
 新日鉄住金エンジニアリング営業第1室長の高草木(たかくさき)誠さん(50)は「高炉技術の転用は、ごみ減量という環境負荷の軽減が主な目的だった」と説明する。
 89年、釜石製鉄所の高炉の火は消えた。繁栄、公害、復興。企業城下町の景色は移ろう。コーロは鉄から環境へ歩みを進め、技術の火をともし続ける。CSRが生み出す理想の共生社会を目指して。
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 企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難(かんなん)の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ。


2017年01月28日土曜日


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