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<CSR元年>「経営の根幹」へ浸透

リコージャパンが田村市都路地区の住民らと企画した料理教室。借り物の概念だったCSRは試行錯誤を重ね、地域に根を張った=15年10月

 CSR(企業の社会的責任)の水脈をたどると先人の無私、公益の精神に行き着く。商人や企業にはそれぞれの時代、社会的責任を自覚し、社会貢献に動く姿があった。(「被災地と企業」取材班)

◎トモノミクス 被災地と企業[13]第2部 水脈(5完)ながれる

 グローバリゼーションは、地球規模で経済活動の矛盾をあぶり出す。環境、格差、倫理。CSR(企業の社会的責任)は理念から実践の時代へと移り、21世紀を迎えた。
 2003年1月、リコー本社(東京)になじみの薄い部署が新設された。
 「CSR室」
 国内企業のCSR専門部署の第1号は、社長直轄で総勢6人。ミッションは同社のCSR憲章や行動規範の制定、社会的責任経営報告書の作成だった。

 「最初は『CSRとは何か』という教育から始まった。2000年代初頭は海外に販路を拡大した時期。世界標準を押さえることがビジネス上、必要だった」
 CSR室の流れをくむ社会環境室室長の阿部哲嗣(さとし)さん(47)は説明する。
 欧米で常識となっていたCSRは、国内では浸透していなかった。海外展開する企業の多くがリコーを訪れ、取り組みを学んだ。
 経済同友会によると03年、会員企業の3割がCSRに関わる専任者の配置など社内の推進体制を敷いた。この年は後に、日本のCSR元年と呼ばれる。
 CSRの要請は、企業の足元からも湧き上がった。
 当時、国内では大企業のリコール隠しや食品偽装事件が頻発。バブル崩壊後の不況下、企業がためこんだひずみが顕在化した。
 00年には国内大手の食品企業が、患者数約1万5000人に及ぶ戦後最大の集団食中毒事件を起こした。消費者の怒りは沸点に達し、業績は急速に悪化。国内5工場を閉鎖し、社長は引責辞任に追い込まれた。
 一度信用を失えば、大企業すら立ち行かなくなる。危機感を強めた企業は、CSRとしての企業統治や法令順守に向き合う。経営層や投資家には財務効果を疑問視する声はあったが、経営の根幹と位置付ける動きが主流になっていく。

 そして3.11が訪れ、CSRは転機を迎えた。
 東京電力第1原発事故からの再生に歩み出した福島県田村市都路(みやこじ)地区。エプロン姿の児童が、企業ボランティアと笑顔で調理場に立った。
 15年秋、リコー子会社リコージャパンが住民グループと開いた料理教室。子どもたちは郷土料理「いとこ煮」をベースにしたスイーツ作りにチャレンジした。
 リコージャパン社会貢献推進グループのリーダー内田貴さん(54)は「都路を元気にするために、住民と一緒に地域おこし活動を考えてきた」と語る。CSR室設置から14年。ビジネスの海外展開のため必要とされた取り組みは、復興支援という形へと深化した。
 江戸期を源流に、日本のCSRは商いと世間を分かたない土壌で育まれた。浮沈の大きい企業史を時に伏流水として、時に本流としてとうとうと流れ続ける。(「被災地と企業」取材班)
         ◇         ◇         ◇
 企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難(かんなん)の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ。


2017年01月31日火曜日


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