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<CSR>商人が尽力 大飢饉から復興果たす

江戸時代後半、国内は度々深刻な飢饉に見舞われた。仙台藩内は窮乏し、商人は救済と復興に尽力した(天明飢死図集より)=仙台市博物館所蔵
豊かな水田が広がる仙台平野。江戸時代、荒廃した田畑を商人が資金を投入し、再生させた。今、震災の津波から再びよみがえる

 CSR(企業の社会的責任)と聞いて何を思い描くだろう。「営利企業が社会貢献なんて」「大企業の自己満足」と皮肉る人もいる。東日本大震災からの復興で企業が果たした役割は見過ごせない。CSRは社会課題を解決し、世界を変える力を秘める。

◎トモノミクス 被災地と企業/江戸末期 大飢饉で仙台藩領荒廃

 江戸時代末期、東北を襲った大飢饉(ききん)があった。1833年から数年続いた冷害による「天保の飢饉」。飢えや疫病による死者はおびただしく、石巻地方は人口が半分以下の8000人に激減したと言われる。
 「三方よし」の精神で知られる近江(現在の滋賀県)の商人は、仙台藩の復興に大きく貢献。地場の商人とともに産業の再生と育成に奔走した。
 江戸中期、近江を本拠地とし、仙台藩に進出した豪商中井家。耕作者を失い、荒れ果てた仙台平野に用水路を掘り、全国の移民を受け入れて水田を整備した。
 金融業者でもあった中井家は幕末、藩の「メインバンク」になるほど重用された。米の購入資金に困った藩の強い求めに応じ、多額の救済金を納めた。
 中井家の功績に対し、庶民は神社を建てて祭った。現在、名取市の館腰神社に合祀(ごうし)されている。
 石巻沿岸は、飢饉により「塩煮」と呼ばれる製塩業が全滅した。北上川河口の船問屋丸山佐々木家は私財を投じ、約20年をかけて遠浅の長面浦に塩田を開発。終戦直後まで続く地場産業を創出した。
 佐藤大介・東北大災害科学国際研究所准教授(43)=江戸時代史=は「当時の富裕者や商人には『地元の人を大事に』という教えがあった。中国の古典を基にした共通の倫理観だ」と解説。「商人たちは、飢饉で人がばたばたと死ぬのを見ているはず。『もうけを超えて何とかしたい』と思ったのだろう」と推し量る。


2017年01月31日火曜日


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