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<私の復興>地域で生きる 道半ば

通所施設「みっちゃんち」で過ごす綾女さん(手前)を見守る理恵さん=石巻市

◎震災5年11カ月〜重い障害のある子どもと被災 宮城県石巻市・新田理恵さん

 仲間に囲まれ、穏やかな表情を見せる娘にほっとする。1月中旬、石巻市中心部にある障害者や高齢者の通所施設「みっちゃんち」。スタッフが優しく語り掛け、娘を介助する。
 「安心して過ごせる場所ができてうれしい」。石巻市大街道南の新田理恵さん(46)は、次女綾女さん(18)を見守りながら心底思う。綾女さんには重度の意識障害がある。全介助が必要で、たん吸引などの医療的ケアも欠かせない。利用できる通所施設は東日本大震災前、市内では限られていた。
 震災発生時、石巻支援学校小学部6年だった綾女さんは今、高等部3年。今春の卒業を控え、地域でどう過ごすか。施設を利用しながら考える。理恵さんは「私たちにとって、これからが新たな一歩だ」と言う。
 中心部から約2キロ離れた自宅は津波被害を受けた。綾女さんを抱えながら、被災してもうすぐ6年。避難生活やプレハブ仮設住宅での暮らしは困難の連続だった。
 市内には震災を機に、「みっちゃんち」のような通所施設が複数できた。支援に来た宮城県外の福祉関係者らが設立した所もある。共通するのは障害者も高齢者も利用する「共生型ケア」。新しいタイプの施設は卒業後の綾女さんが、多くの人と触れ合える貴重な場になる。
 「共生型ケアの施設ができるなんて、震災前は考えもしなかった。復興する中で、いろんな人の力で地域に新たなサービスが生まれた」と感謝する。

 とはいえ、課題はまだある。特に防災。改修して今も暮らす自宅は石巻工業港から500メートルほど。綾女さんが自宅や地域で過ごす時間が増える卒業後、いざという時にどう避難するか。
 昨年11月22日朝、福島県沖を震源とする地震で津波警報が出た際、夫や長女と共に綾女さんと必要な医療機器類を車に乗せ、避難した。道路は既に渋滞。いったん海側を通るルートで、日和山方面に向かうしかなかった。
 「綾女の避難には時間がかかる。今回は大ごとにならなかったが、一歩間違えれば、と思うと怖い」
 震災直後、「石巻重症心身障害児(者)を守る会」の仲間と一緒に、重度の障害者らに配慮した避難対策を市に要望した。だが、何も進んでいないと感じる。
 津波避難ビルなどのスロープ設置も近隣住民らと市に働き掛けたが、設置が決まったのは一部。「スロープがあれば高齢者も避難しやすい。震災前より良い街にするには、災害弱者の声を反映させてこそだ」

 綾女さんの卒業を機に、地域をもう一度見詰めようと思う。綾女さんの視線に沿えば、復興が進む光と遅れる影が見えてくる。
 震災後、近隣には新住民も増えた。いざという時、自力では避難できない綾女さんの存在を多くの人に知ってほしい。自ら考え、動き続けたい。
 目標は「みっちゃんち」みたいな施設を自宅に近い大街道地区に造ること。「地域の人々と一緒に、綾女も過ごせる場にしたい」。綾女さんと目指す復興の形だ。(報道部・菊池春子)

●私の復興度・・・50%
 前進している部分と、足踏みしている部分と半々。新たなタイプの施設ができるなど、福祉サービス面で進んだことはある。災害対策をはじめ、行政の取り組みはまだまだだ。医療的ケアの必要な障害児・者が利用できるショートステイ施設の整備も急いでほしい。障害者の視点に立った復興を望む。


2017年02月11日土曜日


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