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<震災6年>居久根の一本杉に帰還誓う

「農業を続けるおらいのシンボルだ」。1本残った居久根に復興を誓う佐藤さん

 仙台市若林区三本塚に、屋敷林「居久根(いぐね)」の面影を伝える一本杉がある。東日本大震災の津波で流されたり、枯れたりして周囲の居久根はほとんど消失。住民も減った。「復興する姿をこの木に見せたい」。震災後、代々住み続けた土地を離れて暮らす所有者は、約400年前の津波後に田畑を切り開いた先祖に思いをはせ、自らの帰還を誓う。
 トビが舞い降り、羽を休める。高さ20メートルほどの杉はひときわ目立つ。
 三本塚で16代続く農家佐藤久一さん(62)方は、100本ほどあった居久根が震災後、1本だけになった。樹齢70年余り。頂部は枯れたが、隣のカヤとともに残った。
 かつて、佐藤さんの家はうっそうとした居久根に守られ、強い風が吹いてもびくともしなかった。家を建て替える材や燃料になり、日陰ではキノコが育った。居久根は四季を通じ、生活に寄り添っていた。
 佐藤家の歴史は古い。先祖は仙台平野を襲った慶長三陸地震津波(1611年)の後、三本塚に入植したと伝わる。津波後の荒れ地を耕し、実りの大地に変えたという。
 「ここは津波が来た土地だ」。いわれを知る佐藤さんは2011年3月11日、津波の襲来を確信した。近所に声を掛けながら、いち早く避難所に向かった。
 家族は皆無事だったが、流れてきた巨木が家の壁を突き破った。水田も農機具も蔵も海水をかぶった。
 想定はしていたものの、甚大な被害。避難の長期化は避けたいと、区内に新居を求めた。
 農地はボランティアの助けを借りて復旧した。毎日通って作業に励む。居久根のない景色にも慣れた。
 震災から間もなく6年。圃場整備が終わり、今年本格的にコメ作りを再開する。気持ちが新たになる。
 400年続いた農家の歴史。自分が途切れさせるわけにはいかない。
 「この木はおらい(わが家)のシンボル。これからも、この地で歴史をつないでいく」


2017年02月20日月曜日


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