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<回顧3.11証言>SOSメール 世界巡る

2階天井付近まで水に漬かりながらも、約450人が無事救助された気仙沼中央公民館=5月14日、宮城県気仙沼市潮見町

 東日本大震災の津波襲来時、宮城県気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館には近くの保育所に通う0〜6歳児の71人を含む約450人が避難した。一部3階建ての公民館は一時、2階天井付近まで水没し、完全に孤立。そこに猛火が迫った。避難者は極限の状況下で2晩を過ごし、3日目にようやく全員が脱出した。(東野滋)

◎450人が孤立 気仙沼中央公民館(下)

 地震と津波の発生から一夜明けた3月12日午前9時半、ヘリコプターが気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館上空に現れた。
 胴体に「東京消防庁」の文字。建物周囲の水位は1階まで下がったが、着陸できる場所はなく、避難者をつり上げての救助が始まった。
 東京消防庁のヘリが真っ先に駆け付けたのには理由があった。
 公民館には、同じ区画にあった市の心身障害児施設「マザーズホーム」の職員4人も避難。内海直子園長(58)は11日夕、3階部分の屋上から、携帯電話で家族にメールを送信した。
 「公民館の屋根にいる」「火の海 ダメかも 頑張る」
 メールは転送され、ロンドンに住む長男のアクセサリーデザイナー直仁さん(31)にも伝わった。直仁さんはすぐに短文投稿サイト「ツイッター」に救助を求めるメッセージを書き込んだ。
 直仁さんの投稿は、多くのツイッター利用者が引用して再投稿することで「拡散」。ついには猪瀬直樹東京都副知事の目に留まり、ヘリの派遣につながった。
 内海園長は「降りてきた救助隊員にいきなり『園長はいますか』と尋ねられ、びっくりした。電話がつながらず、救助を求められない中、まさに奇跡だった」と話す。
 途中から自衛隊のヘリが応援に加わったが、この日の救助活動は重病人と高齢者、一部の子ども計約50人を収容して終了。残った約400人は2度目の夜を迎えた。
 誰もが疲労していた。脱水症状で吐いたり、熱を出したりした子どもも多く、ヘリが投下したペットボトルの水を飲ませた。
 「水が引いている」。13日朝、公民館に隣接するグラウンドにヘリが着陸可能になった。降下地点まで木の板で道を作り、その上を歩いて順番に乗り込んだ。
 東京消防庁の最後のヘリが飛び立ったのは午後1時。地上から歩いて脱出した人も含め、446人全員が無事に生還を果たした。
 「子どもを火で死なせるのはかわいそうで、いっそ自分の手で楽にしてあげようとまで考えた」
 5月21日に行われた一景島保育所の退所式で、ある母親が担任に対し、公民館での心境をこう打ち明けたという。
 当時、所長だった林小春さん(59)は「津波からは何とか生き延びたが、火と煙で誰もが本当に追い込まれていた」と振り返り、こう付け加える。
 「とにかく子どもを守ろうと必死だった。でももう一晩、公民館にいたらどうなっていたか分からなかった」=2011年6月20日河北新報


2017年02月20日月曜日


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