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<帰還後どう生きる>居久根再生 自らの手で

自宅の居久根除染実験の後も、放射線量の変化の測定を続ける菅野さん=2月上旬、福島県飯舘村比曽

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。避難指示が続く福島県飯舘村は3月末、ようやく解除の日を迎える。村には除染後の農地が荒れ野のように広がり、放射線への不安が若い世代を遠ざける。生業や共同体の再生も難題だ。古里へ帰ろうと決めた住民たちは「帰還後」をどう生き直すのか。村の取材で出会ってきた人々の思いに触れた。(編集委員・寺島英弥)

◎3月末、避難解除の飯舘村(1)終わらぬ除染

<高いままの線量>
 高さ約30メートルの杉林が雪の上にそびえる。2月上旬、飯舘村比曽地区の農業菅野啓一さん(62)は放射線測定器を手に、自宅裏の居久根(いぐね)(屋敷林)を歩いた。福島市内の避難先から戻るたびに線量の変化を調べる。
 「この辺が高いままなんだ」。測定器は1メートルの高さで2.5(マイクロシーベルト毎時)を記録し、枯れ葉が積もる地表面で4.9に上がった。
 帰還困難区域の長泥地区に接する比曽は、村内でも高線量の地域だった。啓一さんら行政区役員会は「他地区と一律の方法では足りない。地元の声を除染に生かして」と環境省福島環境再生事務所に求めてきた。
 86戸の家屋が除染されたのは2015年。行政区が独自に検証測定をすると、家々の表の線量は1以下に減ったが、居久根がある裏手で3〜7もあった。環境省の除染は家の周囲の汚染土を剥ぎ取るが、居久根では枯れ葉などを除くだけ。その工法通りの結果になった。

<実験で効果証明>
 「居久根こそ除染してほしいと現場担当者に訴えても、作業の対象外と言われただけ。国を頼みにできないなら、帰還する者が環境を取り戻すしかない」
 啓一さんはそう語り、居久根の別の一角を見せた。比曽地区などを支援するNPO法人「ふくしま再生の会」の小原壮二さん(66)らメンバーと、昨年6月と8月に実施した除染実験現場だ。
 啓一さんは母屋から居久根の奥へ半径20メートル、40メートルと範囲を段階的に広げて重機で枝を切り、深さ10センチまで土を剥ぎ、安全な粘土層まで穴を掘って埋めた。放射性物質の大半が表層の腐植土にあると分かったからだ。線量変化は劇的で、最大で3から0.6に減った。
 「やればできるんだ。国は、避難指示解除の日程ありきではないか」と憤る。

<帰村支援事業に>
 原発事故前は稲作と和牛繁殖、花栽培を営んだ。帰還に向けて準備するのは、高冷地らしい鮮やかな発色が評判だったトルコキキョウ作りのハウスだ。避難中も手入れした5棟に加えて4棟を新設し、当面は妻と避難先のアパートから通って18年の出荷を目指す。
 ただ、帰還後を支え合うべき地元の仲間が何人戻るか、避難指示解除が間近な今も分からない。先日あった行政区役員会では「帰る人も帰らない人もこれから2年間、墓地の草刈りなど共同作業に協力する」としか決められなかった。
 行政区の再建策を村全体で話し合う会合もいまだに催されず、「先は全く手探り。帰還者だけが負担を背負ってはつぶれてしまう」。
 啓一さんは提案する。「放射線の不安が住民の帰還を阻むなら、実験の成果を生かす居久根除染を村独自の帰村支援事業にして、自分たちにやらせてほしい」。樹齢約100年にもなる居久根は何世代も続く古里の象徴だ。それを汚されたままではいられない、と。


2017年02月23日木曜日


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