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<回顧3.11証言>極限状態で救うすべなく

高齢者59人が犠牲となった気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃」。建物前の地蔵に新しい花が手向けられていた=2011年7月上旬

 目の前に気仙沼湾を望む宮城県気仙沼市錦町の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」。東日本大震災の大津波は建物の2階まで押し寄せ、車いすの高齢者をのみ込んだ。生き残った人も寒さで次々に命を落とし、犠牲者は最終的に59人に上る。避難訓練の想定を上回る津波に、なすすべもなかった職員たち。「私たちに何ができて、何ができなかったのか」と自問自答する。(丹野綾子)

◎59人死亡、気仙沼の老健(上)

<眼前>
 津波は、建物2階のデイルームに集まっていた車いすの高齢者たちに襲い掛かった。悲鳴を上げる間もなく、車いすごと流される。職員たちは無我夢中でテーブルやカウンターに引き上げた。
 施設長の猪苗代盛光さん(63)も胸まで水に漬かりながら両腕で2人を抱え、固定したいすに上げた。別の高齢者を助けに行こうとすると、背後のカウンターの上にいた女性に「助けて」と襟首をつかまれた。身動きできないまま、目の前でお年寄りは沈んでいった。
 猪苗代さんは「1人を助けようとしたら、別の1人を離さなければならなかった」と振り返る。

<誤算>
 震災当日、リバーサイドには入所者100人、通所の利用者33人がいた。平均年齢は83歳程度で、大半が車いすを利用。地震発生後、職員53人はすぐに2階デイルームに全員を避難させた。
 建物は鉄筋コンクリート2階。2階床面の高さは土台が高いため7メートルを超す。隣には津波避難ビルでもある3階の市総合市民福祉センター「やすらぎ」がある。
 市の防災計画では、建物の3階以上に避難することになっており、猪苗代さんらは訓練で、やすらぎの3階に避難することを検討した。だが、車いすの高齢者を移動させるには時間がかかった。リバーサイド2階ならすぐに移動できる。6メートルの津波にも耐えられるので、2階を災害時の避難所にしていた。
 震災の津波は想定を大きく上回り、2階まであふれた。高齢者46人が水にのまれて亡くなり、1人が行方不明(後日、死亡を確認)になった。

<猛火>
 波が引いてからも猪苗代さんは、第2波到来に備えて助かった86人を屋上に避難させるかどうか迷った。外は雪が降っている。「全員ずぶぬれの状態で、体力のない高齢者は低体温症でやられてしまう」と考え、四つの部屋に高齢者を集めた。
 ふと窓の外を見ると、信じられない光景が広がっていた。建物の周りが火の海だった。破壊されたタンクから漏れ出た重油に引火するなどして、施設がある鹿折地区一帯は大火災に見舞われた。
 爆発音が響く。「火が来たらどこにお年寄りを避難させようか、それだけを考えた」と猪苗代さんは言う。
 極限状態の中、認知症のお年寄りが「何でこんな所にいるの」と繰り返す。別の高齢者が「何度言ったら分かるの。津波が来たんだよ」と声を荒らげた。=2011年7月22日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年02月24日金曜日


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