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<帰還後どう生きる>除染影響 牧草地が荒廃

仮置き場が広がる冬景色を背に立つ菅野さん=1月末、福島県飯舘村比曽

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。避難指示が続く福島県飯舘村は3月末、ようやく解除の日を迎える。村には除染後の農地が荒れ野のように広がり、放射線への不安が若い世代を遠ざける。生業や共同体の再生も難題だ。古里へ帰ろうと決めた住民たちは「帰還後」をどう生き直すのか。村の取材で出会ってきた人々の思いに触れた。(編集委員・寺島英弥)

◎3月末、避難解除の飯舘村(2)遠い農地再生

<和牛繁殖を断念>
 標高600メートルの福島県飯舘村比曽の冬は寒々としている。集落の水田群は環境省の仮置き場とされ、除染廃棄物の黒い袋の山が雪をかぶる。農業菅野義人さん(64)の水田もそこにある。
 「風雪の中で牛の堆肥を土にすき込み、コメ11俵(660キロ)を収穫した」という農家の基盤は、6年前の東京電力福島第1原発事故で奪われた。仲間と取り組んできた和牛の繁殖は身を切る思いで断念した。
 政府は3月末、広大な仮置き場を被災地に残したまま避難指示を解除する。搬出先の中間貯蔵施設(福島県大熊町、双葉町)の建設が大幅に遅れ、除染廃棄物の撤去時期は未定のままだ。
 さらに、環境省は除染後の農地にカリウムなど肥料や土壌改良材を入れる地力回復工事を比曽で2017年度に予定しており、持ち主への引き渡しが遅れる。
 「それらを完了させ、初めて避難指示解除をするのが国の責任だろう。帰還する農家は、原発事故前よりはるかマイナス地点から再出発しなくてはならない」

<1人きりの作業>
 義人さんは開拓者の覚悟で二本松市の避難先から比曽に通う。「飯舘は『農』の村だ。農地こそ復興へのかけがえのない資源」だからだ。地力回復工事を待たずに取り組むのが、かつて牛36頭を育てた自宅の牧草地の復旧。1人きりの作業は難儀で危険でもある。
 除染作業の重機が土を踏み固め、土中の排水管も壊れ、雨が降ると水浸しになった。「表土を剥がした跡に大小の石が露出し、全部取り除くしかない。昔は平気で持ち上げた石が重たく、体力の衰えを感じた」
 除染後に客土がされた山砂は酸性で農地に向かない。地力回復工事にも懸念がある。土にカリウムが多いと、そこで牧草を食べた牛の健康を害する。「来年、再来年は緑肥作物を育ててすき込み、土作りをする。しばらく収入はないが、農地再生は人間の力でなく土の力あってのことだから」

<次代に託す希望>
 後継者の長男義樹さん(38)は若い家族と北海道栗山町にいる。避難先での営農継続を支援する飯舘村の事業に応募し、15年9月に家業の和牛繁殖を復活させた。比曽を離れても父親と話し合いを重ね、「村の復興に貢献できる技術を持つ農業者になって帰りたい」と希望を温めている。
 荒野のような比曽の冬の先に義人さんが見るのは、緑豊かな牧草地を次世代に手渡す未来だ。「避難指示解除後、村はいや応なしに自立を迫られる。国に依存する施策は後に続かない。時間はかかっても自分たちの手で暮らしをつくる『までい』の生き方に帰ろう」
 約230年前の「天明の飢饉(ききん)」で、100戸あった旧比曽村は3戸しか生き延びられず、そこに義人さんの先祖がいた。その歴史を受け継ぐ決意があれば、原発事故という新たな苦難からも復興できると信じる。

【注】「までい」は、「丁寧に」「手間暇惜しまず」などを意味する方言。


2017年02月24日金曜日


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