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<脱原発 東北の群像>熱狂は失われたのか

代表の西さん(左手前)を先頭に45人が参加した金曜デモ。4年半で216回を数えた=2017年2月17日午後6時50分ごろ、仙台市青葉区一番町4丁目

 東北で反原発運動に人生をささげ、警告を発し続けてきた人々がいる。福島第1原発事故は、その「予言」を現実のものにする一方、運動が積み重ねてきた敗北の歴史も浮き彫りにした。事故から間もなく6年。国が原発再稼働を推し進める中、彼らは何を感じ、どう行動するのか。(報道部・村上浩康)

◎忘却にあらがう(1)路上の声

 「第216回脱原発みやぎ金曜デモ、今日も元気に参りましょう、出発!」
 17日金曜日の夜、仙台市の繁華街。太鼓のリズムに乗ってコール・アンド・レスポンスが響く。原発いらない、命が大事、女川原発再稼働するな−。行き交う人々は迷惑げな、あるいは好奇の目を投げ掛け、通り過ぎる。
 街の若者たちに聞いた。脱原発デモ、どう思う?
 「うるさい」「興味ない」「続ける意志はすごいと思うけど…」「デモはちょっと怖いかもー」

<見知った顔>
 仙台のデモは2012年7月に始まった。ブログやツイッターの呼び掛けに応じ、当初は約300人が集まった。この日の参加者は45人。大半が50、60代。皆見知った顔になった。
 先頭に立つのは金曜デモの会代表の西新太郎さん(53)。「今も毎回これだけの人が集まってくれる。原発がなくなる日まで、粘り強く続けたい」
 12年6月29日。首相官邸前を20万人(主催者発表)が埋め尽くした。熱狂は全国各地に飛び火した。「原発は止められる」。誰もがそう感じた。
 が、高揚は続かなかった。東京電力福島第1原発事故の生々しい恐怖が薄れるにつれ、参加者は波が引くように減っていった。川内、高浜、伊方。各地で原発再稼働が進んだ今、官邸前の金曜デモの参加者は800人程度になった。
 首都圏反原発連合の中心メンバー、ミサオ・レッドウルフさんは「官邸前行動が、安全保障関連法などを巡る抗議行動につながり、市民運動の形を変えた」と自負する。半面、運動を支えるモチベーションが下がってきたと感じている。参加者の減少や固定化といった課題は仙台と同じだ。

<思いは心に>
 反原発運動の歴史は、敗北の繰り返しだった。スリーマイル島原発事故(1979年)、チェルノブイリ原発事故(86年)…。その都度高まりを見せた危機感は、徐々に薄れ、忘れられた。
 あいコープみやぎ専務理事の多々良哲さん(58)は、福島事故が植え付けた思いは一過性ではないと信じる。12年6月、官邸を取り囲んだ群衆の一人。40年近く運動に関わってきた経験でも、見たことのない光景だった。
 「日本の市民が初めて『社会を変えられるかもしれない』『自分たちが主人公なんだ』と気付いた。原発を止めるのは大変だが、絶対に前に進んでいる」
 仙台のデモを支える市民団体の一つ「みやぎ脱原発・風の会」事務局長の舘脇章宏さん(51)は悲観していない。「昔の閉じた運動に比べ、アクターは多様化した。デモに参加しなくても、脱原発の思いは多くの人の心に潜在している」
 声なき世論に声を届けるべく、路上の訴えは続く。


2017年02月20日月曜日


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