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<脱原発 東北の群像>長き闘い 諦めの先へ

受賞祝賀会で講演する篠原さん。仲間と苦闘した過去を振り返りつつ、これからの運動を見据えた=2017年2月19日、仙台市青葉区

 東北で反原発運動に人生をささげ、警告を発し続けてきた人々がいる。福島第1原発事故は、その「予言」を現実のものにする一方、運動が積み重ねてきた敗北の歴史も浮き彫りにした。事故から間もなく6年。国が原発再稼働を推し進める中、彼らは何を感じ、どう行動するのか。(報道部・村上浩康)

◎忘却にあらがう(2)時は流れ

 「運動は一朝一夕にはいかない。続けることは大事だが、繰り返すだけでは、新鮮な感受性やエネルギーが失われる」
 脱原発東北電力株主の会代表などを務める仙台市泉区の篠原弘典さん(69)。女川原発(宮城県女川町、石巻市)との長い闘いは、東北大工学部原子核工学科に在学中の1970年10月、女川町であった漁民総決起集会への参加にさかのぼる。
 78年8月、漁協が女川原発建設に伴う漁業権放棄を可決したのが一つの節目だった。最盛期に3000人以上が集結した反対運動の最大最後のとりでが崩れ落ちた。「抵抗の手だてを失い、諦めが広がった」と振り返る。81年に起こした全国初の建設差し止め訴訟では、2000年に最高裁が訴えを棄却した。

<同志ら他界>
 国や電力会社は担当者が代わるが運動は違う。多くの先輩、同志と申し入れや株主提案などの抵抗を続けた。多くが鬼籍に入り、4月に70歳になる篠原さんは、その無念さを思う。
 東京電力福島第1原発事故は「脱原発という目的を明確にさせた」。ただ、土壌汚染や指定廃棄物最終処分など各地域で課題が異なり、脱原発は大きなうねりになっていないと感じる。
 もどかしさは立地地域にも漂う。女川町議の阿部美紀子さん(65)は、反対運動の象徴で町議も務めた宗悦さん(12年死去)の長女。父は東日本大震災で被災後、福島事故を知り「こんなのは見たくなかった」と悔しさをにじませた。
 父の影響で「当たり前に反原発になった」と阿部さん。父に反抗した時期もあったが、漁業権を奪われながら運動に私財を投じ、浜を回って人々を説いて集会をまとめ上げた無私の行動力はまねできないと思う。
 父の仲間も多くが世を去った。原発への不安は町民に潜在的にあると感じるが、原発3基の既成事実が積み上がった地元で、かつてのような抵抗を再現するのは難しい。「反対を叫ぶだけでは行き詰まる。新しく何かをつくることが必要だと思う」。漠然とだが、父とは異なる形で原発に頼らない未来を模索する。

<孤立させぬ>
 反原発科学者グループ「熊取6人組」の一人、元京大原子炉実験所助教の小出裕章さん(67)は「美紀ちゃん(阿部さん)のように地元で抵抗する根っこを孤立させてはならない」と話す。東北大で篠原さんの2年後輩。女川の運動に関わった青春が原点にある。
 人が生きること、まちをつくるという営みを小出さんは女川から学んだ。「原子力は麻薬。患者である地域が自立するには、どう生きるかのビジョンを外部が示さなければ」と話す。
 67年の女川原発計画浮上から50年。篠原さんは長年の運動を評価され、16年度の「多田謡子反権力人権賞」を受賞した。17年2月19日、仙台市であった祝賀会で誓ったのは、新たな「現地主義」の構築だ。「女川は原発城下町になって本当に豊かになったのか。未来は明るくなったのか。原発のない未来へ議論の土台をつくり、働き掛けていく」


2017年02月21日火曜日


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