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<脱原発 東北の群像>悔恨 それでも訴える

大学生を前に福島の現状を語る武藤さん。考え、行動することの大切さを次世代に訴える=2016年11月、仙台市青葉区の東北文化学園大

 東北で反原発運動に人生をささげ、警告を発し続けてきた人々がいる。福島第1原発事故は、その「予言」を現実のものにする一方、運動が積み重ねてきた敗北の歴史も浮き彫りにした。事故から間もなく6年。国が原発再稼働を推し進める中、彼らは何を感じ、どう行動するのか。(報道部・村上浩康)

◎忘却にあらがう(4)分断から

 あんたの言う通りだったな、と言われる。反原発の訴えは人々に届いたとは思うが、遅きに失した。あの事故から6年がたつ。
 「圧倒的少数派だった。圧倒的に。一政党や労働組合が原発を阻止するなんて無理がある」
 石丸小四郎さん(74)は避難先の福島県いわき市で、今も無力感と悔恨を抱える。東京電力福島第1原発1号機が稼働した翌年の1972年、旧社会党を中心に結成した双葉地方原発反対同盟の代表。自宅がある福島県富岡町は全町避難が続く。

<事故が証明>
 党の支部委員長だった岩本忠夫さん(2011年死去)の誘いで運動に加わった。「核と人間は共存できない」と話した岩本さんは後に双葉町長として原発推進に転じたが、その言葉の正しさは、福島第1原発事故が図らずも証明した。
 1号機が東北で最初に稼働した後も少数派の苦闘は続き、計10基が立地する原発県となった。一坪地主運動などで粘り強く闘った東北電力浪江・小高原発が最終的に計画撤回となったことは、小さな救いだ。
 石丸さんも年を重ねた。一時体調を崩した。が、バトンは渡せずにいる。「原発反対とは、苦労が多く喜びのないものだった。一緒にやろうと言えなかった。俺自身の駄目なところだ」
 石丸さんは今、講演などで原子力の存在が持つ罪深さを訴える。過疎地と電力消費地。原発マネー。労働被ばく。事故はさらに、放射能汚染や賠償金、自主避難と帰還、低線量被ばくを巡る認識など、被害者同士にさえ分断を生んだ。
 「原発をなくすため最後の人生を懸ける」。石丸さんの闘いは終わらない。

<困難さ実感>
 福島原発告訴団団長の武藤類子さん(63)=福島県三春町=は、副団長の石丸さんらと共に東電旧経営陣の刑事責任を追及する。「事故の責任が問われ、償われることが、原発を止める一つの方法になる」と話す。
 国は帰還政策を急ぐ。事故や被害者を消し去る行為に見える。心の中の不安、不満、反対を口に出し続けていくことが、難しくなってきていると感じる。
 武藤さんは、86年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、友人と小さなグループを立ち上げた。当時、女性が主な担い手となり「反原発ニューウエーブ」と呼ばれた世代に当たる。
 「政党や労組みたいな古い組織が嫌でやってきたけど…。私たちも自己犠牲で頑張ってしまう世代。古くなりつつあると思う」
 事故後、県内外に無数に誕生した市民団体は、多くが自然消滅していった。運動の盛衰を知るだけに、仕方がないとは思う。
 「後始末は、事故を引き起こした私たち世代の責任でやる。今の若い人は反対するのが苦手。ノーではなくイエス、プラス思考の生き方をしてほしい」
 発電方法の一つにすぎない原子力が生んだ大事故を、きちんと問い直す。必要なのは、自分の頭で考え、つながり、一喜一憂せず、諦めないこと−。武藤さんは若者に呼び掛ける。


2017年02月23日木曜日


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