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<脱原発 東北の群像>学び つなぎ 踏み出す

畳の部屋で、お茶を飲みながら話すのは原発問題。「ぶんぶんカフェ」の参加者は老若男女がいて幅広い=2016年12月11日、仙台市宮城野区

 東北で反原発運動に人生をささげ、警告を発し続けてきた人々がいる。福島第1原発事故は、その「予言」を現実のものにする一方、運動が積み重ねてきた敗北の歴史も浮き彫りにした。事故から間もなく6年。国が原発再稼働を推し進める中、彼らは何を感じ、どう行動するのか。(報道部・村上浩康)

◎忘却にあらがう(5完)新しい芽

 国や電力会社、メディアへの不信、行き場のない不安が頂点に達していた。

<肩肘張らず>
 「『やっと話を聞いてもらえた』と泣きだす参加者もいた」。仙台市でカフェを年5回ほど開くサークル「ぶんぶんカフェ」のスタッフ斎藤春美さん(仙台市青葉区)は、東京電力福島第1原発事故直後に開催した時の様子を振り返る。
 斎藤さんは2006年、映画「六ケ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)の上映会に関わった縁で、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)に反対する宮城県の若者らのグループ「わかめの会」に入った。他県の団体と一緒にデモをしたこともある。
 もっと肩肘張らず、気軽に語れる場をつくりたい。11年2月、30〜50代の女性数人でカフェを始めた。翌月の原発事故を受け、2回目以降は参加が50人に膨らんだ。今は15人前後。3月5日で34回になる。
 畳の部屋に車座。話題は原発、放射線、廃棄物、核燃料サイクル、電力自由化−。お茶を飲み、話し合う。不安の共有だけでは続かない。語らいと学びがあるから、今も新たな参加者が訪れる。斎藤さんは「伝える場として息長く続けていきたい」と話す。
 事故はエネルギーの在り方を問い直した。自然エネルギーの拡大を目指す「エネシフみやぎ」は12年発足。脱原発は掲げない。「ノーは言わない。否定しない。イエス、肯定で前向きな力になる」と副代表の小野幸助さん(40)=泉区=。
 企業会員は募らず、個人が緩やかにつながる。イベントを開催し、県内外のハブ的役割も果たす。代表で環境エネルギー政策研究所(東京)研究員の浦井彰さん(59)=青葉区=は「しかめっ面でなく楽しく。次の世代にどんな社会を伝えるかが重要だ」と語る。

<考える場に>
 東日本大震災と原発事故で日本は変わったのか。
 行動する若者は増えた。16年8月解散した学生グループ「SEALDs TOHOKU」(シールズ東北)は15年、安全保障関連法への反対運動を展開した。
 メンバーだった東北大法学部3年の久道瑛未さん(21)、安達由紀さん(21)にとって生まれて初めてのデモ。手続きなどを脱原発デモから教わった。
 それまで原発に無関心だった。久道さんは「安保は法案を止めるか止めないか緊急性が明確。原発はゴールが見えない。やれることが安保だった」と言う。
 「原発も大事な問題なのに、考える場がない」と安達さん。久道さんも「再稼働が進んでいない今考えなければ、また思考停止になってしまう」と感じる。
 「原発いらない、命が大事」。今月17日夜、脱原発みやぎ金曜デモ。コールを担当した青葉区の女性(39)は、シールズの安保デモ参加を機に2年前から足を運ぶ。友人には言っていない。「声を上げられる場所はここしかない」
 太白区の女性(74)は昨年末から。「他人ごとじゃないって目覚めたの」。小柄な体に充実感が漂う。
 踏み出す人がいる限り、忘却にあらがう道は続く。


2017年02月24日金曜日


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