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<脱原発 東北の群像>原子力問う3人の視点

伴英幸氏(ばん・ひでゆき)生活協同組合専従などを経て、1990年に原子力資料情報室スタッフ。95年事務局長。98年から共同代表を務める。三重県出身。
愚安亭遊佐氏(ぐあんてい・ゆうざ)1977年「劇団ほかい人群」主宰。79年から一人芝居を始める。「人生一発勝負」で99年文化庁芸術祭優秀賞。新潟県在住。
佐藤嘉幸氏(さとう・よしゆき)京大大学院経済学研究科博士課程修了。仏パリ第10大大学院で博士号(哲学)取得。2013年から筑波大大学院准教授。京都府出身。

 東京電力福島第1原発事故は、日本の原子力政策とともに脱原発運動の在り方を問い掛けた。市民運動、演劇、哲学の立場で原子力と向き合う3人に聞いた。

◎司法と選挙突破口に/原子力資料情報室共同代表 伴英幸氏

 原子力資料情報室(東京)は1975年に故高木仁三郎氏らによって設立されて以来、反原発運動の理論的支柱となってきた。共同代表の伴英幸さん(65)は、運動の今について「各地が精いっぱいの活動を展開しているが、政策転換につなげる具体的な手だて、戦略が見えていない」と分析する。
 突破口とすべき変化はあると感じる。一つは、関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定(2016年3月)などの司法判断だ。「安全を求める世論を受け、原発に疑問を示す裁判官が増えている。闘いの切り口になった」とみる。
 もう一つは選挙。昨年の新潟県知事選で再稼働慎重派が当選した。「反対運動だけでなく、野党統一候補が実現した点で大きな変化だ」。運動全体として従来以上に政治に力点を置いた取り組みが必要と考える。
 再生可能エネルギーの担い手が脱原発の訴えに共鳴し、運動に厚みを加えていることにも期待を寄せる。
 課題は世代交代。「われわれ全共闘世代の直接要求型の運動を継承するのは難しい。若い世代はいわば対案提示型。新しいスタイルを確立してほしい」
 13年に発足した市民団体「原子力市民委員会」のように、議論を土台に政策提言する動きも出てきた。「脱原発を決定したドイツと比べ、日本は観念的な議論に終始してきた。今こそ原発のリアルな畳み方を詰めなければならない」と見据える。

◎成果求めず声上げる/役者 愚安亭遊佐氏

 「原子力に関わった所は皆、壊れていく」。むつ市関根浜出身の役者、愚安亭遊佐さん(70)は、原子力開発は地域に悲劇しかもたらさないと言う。
 本名松橋勇蔵。下北弁で一人芝居を続け40年近くになる。作品「人生一発勝負」は母がモデル。「百年語り」は父、「こころに海をもつ男」は六ケ所村の漁師、そして近年の「鬼よ」は兄。豊かな海に根差した人々の営みと、巨大開発に翻弄(ほんろう)される悲哀を演じてきた。
 漁師の家に生まれ、東京の大学時代に演劇を志した。全国を芝居行脚していた1981年、74年に放射線漏れを起こした原子力船「むつ」の新母港候補地に関根浜が浮上。後に漁協組合長も務めた兄幸四郎さんらと反対運動を展開した。
 一時は盛り上がった運動も徐々に切り崩され、結局、海の風景は変わる。「むつ」が去り、近くに今、使用済み核燃料中間貯蔵施設が建設されている。
 「関根浜だけじゃない。全国の原発で同じことが起きた。国が言う共存共栄などない。残ったのは衰退した漁村だけだ」
 反対を貫いた幸四郎さんは2011年3月に死去。通夜の日に東日本大震災が起きた。「むつ」を知る人は少なくなった。何が起きたか、語り続ける者がいなければならないと思う。
 「私は芝居で漁師の魂、反対運動の生き方を語ろうとしてきた。思い出すことで本質が見える。成果は求めず、主張し続ける。声を上げることを恐れてはいけない」と強調する。

◎市民発の政策提示を/筑波大大学院人文社会科学研究科准教授 佐藤嘉幸氏

 筑波大大学院准教授(社会哲学)の佐藤嘉幸さん(46)=水戸市=は、田口卓臣氏との共著『脱原発の哲学』を昨年刊行し、福島第1原発事故と過去の企業公害との共通点に触れながら、原子力政策の問題を哲学の視線から検証した。
 原発再稼働を望まない声が6割に上る世論と、原発回帰が進む政治との乖離(かいり)は大きい。指摘するのは「下からの民主主義」による政策決定の必要性だ。「代議制民主主義は政策をパッケージで提示され、個別論点に介入できない。上からではなく、市民が下から政策を提示する回路をつくるのが望ましい」と、市民発の国民投票を提唱する。
 昨年の新潟県知事選で実現した市民連合も有効な手段と考える。「市民が理念に賛同できる候補の擁立を政党に呼び掛ける新しい動き。下からの回路の起爆剤になる可能性がある」と強調する。再生可能エネルギーの拡大と電力自由化の進展は、選ぶ電力によって原発を淘汰(とうた)する消費者運動になり得るという。
 ドイツは福島事故後に脱原発を決めた。背景には、環境運動が政治に密接に関わってきた歴史と、チェルノブイリ事故(1986年)の影響を契機とした議論の深まりがある。「ドイツでは揺り戻しもありつつ、20年以上の議論を重ねた道のりがあった。福島の事故を経た日本は今、ドイツの80年代の段階にあると言える。辛抱強く道をつくっていくしかない。悲観することはない」


2017年02月24日金曜日


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