福島のニュース

<帰還後どう生きる>畜産復活へ放牧地整備

水田放牧試験地に牧草が伸びる春を待つ山田さん=1月末、福島県飯舘村松塚

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。避難指示が続く福島県飯舘村は3月末、ようやく解除の日を迎える。村には除染後の農地が荒れ野のように広がり、放射線への不安が若い世代を遠ざける。生業や共同体の再生も難題だ。古里へ帰ろうと決めた住民たちは「帰還後」をどう生き直すのか。村の取材で出会ってきた人々の思いに触れた。(編集委員・寺島英弥)

◎3月末、避難解除の飯舘村(3)牛が田を救う

<常識破りの挑戦>
 福島県飯舘村を東西に貫く県道沿いに松塚地区がある。村で最も平たんな水田地帯の約2ヘクタールが、電気柵で囲まれている。「この下に牧草の芽が育っている」と農業山田猛史さん(68)は言う。
 避難先の福島市飯野町で和牛36頭を飼い、繁殖を手掛けながら常識破りの挑戦を始めた。「村の水田を北海道並みの放牧地にする」と2年前から温めた夢だ。
 イノシシよけの電気柵の中は、除染を終えた山田さんの3枚の水田。昨年秋、堆肥を土にすき込み牧草の種をまいた。「避難指示解除後の5月には緑の牧野になる。そこに牛6頭を運んで放す」。県畜産研究所と共同の試験で、土に残っている恐れがある放射性物質が牧草、牛に移行しないかどうかを調べる。
 「安全性が確かめられたら、来春から『水田放牧』方式を広げるつもりだ」

<稲作再開は数戸>
 飯舘村では、37年前の大冷害を機に「和牛の村」づくりに農家が取り組み、約3000頭が飼われていた。東京電力福島第1原発事故後の全村避難で大半が処分されたが、山田さんは牛への愛着を捨てずに避難先で生業を続けた。
 地元の関根・松塚行政区には40ヘクタールの水田がある。住民44世帯の意向調査では、稲作再開を希望したのは数戸で自家米程度。根強い風評から、村の大半の農家が「作っても売れない」と諦める状況で、将来耕作放棄地が広がる危惧が強い。
 行政区の復興部長も務める山田さんが「農地を荒廃させず、畜産も復活させる方策」として着想したのが「水田放牧」。土地の平たんさも広い牧草地に好条件という。
 村に実現を提案したが、課題は水田の境の「あぜ」。国は生産場所ではないあぜを「農地」とみなさず、除染対象にしなかった。放牧にあぜは不要。「土は汚染されており、撤去しなければならないと訴えた」

<県が試験事業化>
 山田さんが、復興を支援するNPO法人「ふくしま再生の会」と実証実験をしたのは2015年10月。自ら重機であぜを削り、水が浸透しない粘土層まで深さ1.3メートルの溝を掘って埋めた。きれいに土で覆うと、放射線は全く漏れなかった。注目した福島県は昨年春、「水田放牧」の共同試験を事業化した。
 山田さんの希望を後押ししたのは三男豊さん(34)だ。避難生活の間に「牛肉を一から勉強をしたい」と京都市の食肉卸会社で修行した。今は農家経営を委譲され、父と牛舎で働きながら「良質な牛の肥育から肉の販売まで一貫して手掛ける」という将来を描く。
 地元では避難指示解除後、農家7戸が花栽培を始める。山田さんは試験の先を見据え、「仲間から計10ヘクタールの水田を放牧地として借りる相談を進め、80頭を飼える牛舎を自宅に建てる」と新たな計画を温める。村の後継者が夢を持って帰還できる道を開きたいと願う。


2017年02月25日土曜日


先頭に戻る