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<帰還後どう生きる>縁を生かし暮らしたい

新年会で、仲間の縁を重ねた入居者の女性たちと語り合う木幡さん=1月末、福島市の松川工業団地第1仮設住宅

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。避難指示が続く福島県飯舘村は3月末、ようやく解除の日を迎える。村には除染後の農地が荒れ野のように広がり、放射線への不安が若い世代を遠ざける。生業や共同体の再生も難題だ。古里へ帰ろうと決めた住民たちは「帰還後」をどう生き直すのか。村の取材で出会ってきた人々の思いに触れた。(編集委員・寺島英弥)

◎3月末、避難解除の飯舘村(4)高齢者の願い

<孤立の不安抱え>
 「もう1年、この仮設で一緒にいられる。その間にみんなで、もっと強い絆をつくろう」。福島県飯舘村の住民103人が、共同で避難生活を送ってきた福島市松川町の松川工業団地第1仮設住宅。1月末の新年会で自治会長の木幡一郎さん(80)があいさつした。
 村は3月末で避難指示解除を迎えるが、仮設住宅はさらに1年、入居期限が延長される。輪投げやビンゴを楽しむ入居者は陽気で笑いが絶えない。だが、内心は複雑だという。
 第1仮設の自治会発足は2011年8月。入居者の大半が70代で、半数は独居だ。「出身の地区が違っても、この5年半で互いになじみ合い、ここを出たくない人が多い」と木幡さん。
 帰村のため仮設を出るのは数世帯。福島市や南相馬市に家族が家を建てたが、仮設にとどまるという人もいる。行く先が決まらない人も少なくない。「仮設を離れれば村から避難した日のようにばらばらに孤立するかと、みんな不安なんだ」

<村から回答なし>
 自治会が発足後に直面したのが、古里や家族と離れた失意で居室にこもり、心身が弱る高齢者の支援だった。木幡さんは初代管理人佐野ハツノさん(68)らと知恵を絞り、仮設に楽しみと笑いを広げようと毎月、演芸の集いやミニ旅行会を重ねて仲間の絆を育んだ。
 「仮設で培った縁を生かして、一緒に村に帰れるグループホームを設けて」。自治会は一昨年、入居者の意向をこんな提案にまとめて、村に検討を訴えた。
 「子どもや孫は村に帰るまい。病院や店がなく、冬も長い飯舘に年寄りが一人で帰っても暮らせない。先行きを見据えて考えたんだ」と木幡さんは語った。
 個々の暮らしを尊重する平屋の家が集まり、いつも顔を合わせられる施設や広場がある。介護が必要になった人を支え、通院や買い物のバスも寄ってもらえる場に−という共生の希望を込めた。「残念だが、村から回答はなかった」

<介護受けられず>
 東京電力福島第1原発事故の前、木幡さんは同村伊丹沢で農業を営んでいた。避難先の南相馬市で働く長男と「家を建て直して帰ろう」と決め、来年3月に仮設を出るつもりだ。「風評でコメは売れず、農業はやれないが、俺は村で人生を全うしたい」
 心配なのはその後のことだ。2月11日、第1仮設に菅野典雄村長らが訪れ、避難指示解除後の施策を入居者に説明した懇談会。高齢者には厳しい村の状況が語られた。
 介護サービスを受ける環境も全村避難で失われた。村で福祉事業をしていた団体は人手が集まらず休止。「飯舘はサービス圏外」としていた近隣の業者に、村が懸命に働き掛けている。
 木幡さんは言う。「住民の何割が帰るか分からないが、超高齢化の村になるに違いない。古里をただ夢見て耐えた年寄りを安心して帰らせてほしい」


2017年02月26日日曜日


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