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<回顧3.11証言>機能パンク 配給に長蛇の列

榴岡小の避難訓練。周辺施設から避難者が殺到した教訓を関係機関がどう生かすかが問われている=2011年5月16日、仙台市宮城野区

 2011年3月11日の東日本大震災の直後、JR仙台駅に近い榴岡小(仙台市宮城野区)には、想定の4倍を超える約2500人の避難者が押し寄せた。仙台駅を閉め出された駅利用者らが、避難場所を求め、殺到したためだ。指定避難所とはいえ、想像を超える数に現場は大混乱に陥った。(佐々木絵里香)

◎指定避難所、大混乱(下)

 JR仙台駅の利用者や周辺事業所の従業員らが大量に押し寄せた榴岡小(仙台市宮城野区)では、教職員や地元町内会の役員らが、食事の手配や別の避難場所の確保に奔走した。大勢の人が集まる施設が集中する地域で、避難所はどうあるべきなのか。「地域の避難所」としての機能を守ろうとした教職員や住民の苦闘からは、関係機関との連携に課題があったことも浮かび上がる。
 榴岡地区町内会連合会の役員らは震災当日、約2500人に膨れ上がった避難者を収容するため、別の避難場所を探し回っていた。
 近くの市榴岡公園軽体育館は職員が帰宅し、使用不能だった一方で、小学校に併設される児童館は指定避難所ではないが、保護者を待つ児童や妊婦ら50人超を受け入れてもらった。近隣の宗教団体施設の一室にも、約100人を避難させてもらえた。
 翌3月12日朝、榴岡小で初めて提供された食事の配給には、同校で一夜を明かした人に加え、近隣住民や近くの会社に泊まった人たちも並んで、校庭に長い列ができた。
 教員らは前夜遅くまで駆けずり回って確保した3080食で「間に合うはず」と考えていたが、結局は全ての人に行き渡らなかった。
 ボランティアや市の配給で、何とか食料を確保できたのは、帰宅する人が増え始めた12日夜のことだった。
 同校の避難所は3月24日には役割を終え、閉鎖されたが、3月11日の混乱で明らかになった課題は解消されていない。
 仙台市は「仙台駅のように不特定多数の人が往来する地区では、避難所として学校以外にも、準公共施設や企業に協力を求めることも考えている」と説明する。
 しかし、混乱の引き金となった仙台駅や周辺の企業、集客施設からの避難者の誘導などについては、JRなどとの協議さえ行われていない。
 22日には近くに「仙台アンパンマンこどもミュージアム&モール」がオープンした。地域を行き交う人はさらに増え、次の災害時には「あの日」を上回る混乱が起きないとも限らない。
 同校の久能和夫校長は「仙台駅に近い榴岡小に人が集まるのは仕方がない。だからこそ、JRをはじめ関連機関との綿密な連携が今後、欠かせない」と感じている。=2011年7月26日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年02月26日日曜日


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