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<帰還後どう生きる>仲間と集う楽しみ 再び

改築した自宅でこれからを語り合う佐野さん夫婦=1月末、福島県飯舘村八和木

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年。避難指示が続く福島県飯舘村は3月末、ようやく解除の日を迎える。村には除染後の農地が荒れ野のように広がり、放射線への不安が若い世代を遠ざける。生業や共同体の再生も難題だ。古里へ帰ろうと決めた住民たちは「帰還後」をどう生き直すのか。村の取材で出会ってきた人々の思いに触れた。(編集委員・寺島英弥)

◎3月末、避難解除の飯舘村(5完)生きがい求め

<二重生活を覚悟>
 170世帯、381人。3月末に避難指示解除が迫る福島県飯舘村への帰還を希望し、長期宿泊中の住民の数だ。東京電力福島第1原発事故前の人口は6000。実際の帰還者は増えるとしても、村再生の厳しさをうかがわせる。
 近隣に住民の大半が戻らない集落がある中で、「ここは別。26戸のうち20戸は帰る。ある奥さんは『避難先の福島市に娘が建てた家との二重生活を覚悟で戻るよ』って。皆、老人会だけども地元が恋しいんだ」。
 同村八和木(前田・八和木行政区)の佐野ハツノさん(68)は1月末、帰還のために改築した自宅で語った。福島市の松川工業団地第1仮設住宅に夫幸正さん(70)と入り、昨年夏から長期宿泊中だ。誘われるように近所の改築も進み、なじみの顔が茶飲みに寄る。
 「いつか家に戻るかも」という孫の言葉、東京にいる息子の「定年後には帰るか」との一言に動かされ帰還を決めた夫婦がいる。避難先の新居で孤独に悩み、集落に帰る仲間の話を聞いて「一緒に生きたい」と気持ちを変えた主婦がいる。

<山の恵み採れず>
 佐野さん方では長男の家族が県外に避難したが、夫婦は帰還を心待ちにしていた。「『までい』の気持ちで手作りした生活を捨てられない」とハツノさん。仮設暮らしを辛抱した幸正さんは「家は落ち着く」と笑う。
 だが、6年前には戻れない。原発事故前に20ヘクタールの稲作を手掛けた幸正さんは帰還後、「ハウスで野菜を自給するが、コメは作るかどうか」。豊かな山の恵みの山菜やキノコは放射性物質の影響で今も採れない。
 ハツノさんは2006年に自宅で民宿を開いた。農家の生活と飯舘の自然を味わえる宿は大勢の常連客を得たが、原発事故と自身の体調から再開を諦めた。
 仮設の管理人だった13年にがんを発症。「心労、ストレスが原因」と医師に言われ、3度の手術を経て闘病中だ。改築した家に客間を増やし、「親しい人を八和木に招くの。地元の仲間たちとにぎやかに集い、楽しく生きたい」と話す。

<「までい着」継続>
 ハツノさんが仮設で始めたのが「までい着」作り。古い着物を普段着に直す手業だ。女性入居者たちを元気づけようと「カーネーションの会」(20人)を結成し、仮設発の特産品として首都圏で販売会も催す。
 避難指示解除を前に「暮らす場所は離れても、村に集まって活動を続けたい」と会員から声が上がった。ハツノさんは「皆、先行きが不安。生きがい、収入の道が必要になる」と言う。
 今は牛の姿が消えた放牧地が自宅裏にあり、夫婦はケヤキ60本、桜10本の苗を植えた。「苦難を乗り越えて村に帰った証し。ここで精いっぱい生き、いなくなっても木は居久根(いぐね)に育ち、私たちの思いを孫たちに伝えてくれる」と願って。(編集委員・寺島英弥)

【注】「までい」は、「丁寧に」「手間暇惜しまず」などを意味する方言。


2017年02月27日月曜日


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