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<回顧3.11証言>誘導あだ 多数の犠牲者

 東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県名取市閖上地区では、指定避難場所の閖上中の目前で、津波にのまれた人が多数いた。閖上公民館に避難した人々が閖上中に誘導され、指示に従って移動していたところを津波が襲ったという。同公民館も指定避難場所で、避難誘導は市の防災計画の規定にない。周辺の主要道路は、事故と信号ダウンなどで渋滞が発生。近くに高台がない地域で、避難者は大混乱に陥っていた。(小島直広、末永智弘、勅使河原奨治)

◎名取・閖上混乱(上)

<渋滞>
 「あの時、公民館の2階に避難させてくれれば、娘は助かったはず…」
 長女ななみさん(14)=宮城県名取市閖上中2年=を亡くした漁業菊地篤也さん(49)=閖上2丁目=は悔しい思いを隠せない。ななみさんは2011年3月11日の地震発生後、市の指定避難場所、閖上公民館に避難していた。
 ななみさんの兄佳祐さん(21)は同日午後3時半ごろ、公民館グラウンドで「地震怖い」と泣く妹をからかった。「何、泣いてんの?」
 佳祐さんが振り返る。「ここなら大丈夫だと思って、そのままその場を離れた。あれが最後だった」
 ななみさんはその日夕刻、公民館の北西約800メートルにある閖上大橋南側で、海水とがれきの中から発見され、救急搬送中に息を引き取った。
 3時45分ごろ公民館前。町内会長阿部文男さん(61)=閖上7丁目=は異様な光景を目撃する。公民館グラウンドに入った車や住民が、追い返されるようにぞろぞろと外に出て行く。
 「なぜ公民館に避難しないんだ、戻れ」。阿部さんは顔見知りの女性に強く注意した。
 女性は「公民館の人から、ここは津波の避難所じゃないので中学校へ移動するよう言われた」と答え、その場を後にした。
 公民館前グラウンドには車が約100台。阿部さんは「中学校へ向かおうとした車が、前の通りの渋滞に拍車を掛けた。そこを津波が直撃した。どれだけの犠牲者が出たことか」と嘆く。

<判断>
 閖上中は公民館の西約500メートルにあり、大人の足でも6、7分はかかる。阿部さんが注意した女性も結局、途中で津波に巻き込まれ、犠牲になったことが判明した。
 公民館は海岸線から1キロ強の距離にある。市働く婦人の家と棟続きで、共に鉄筋コンクリート2階建て。両施設を管理する元公民館長(63)=11年6月末で退職=によると、地震発生当時、幼稚園や中学校の謝恩会などが開かれ、館内には100人以上がいたという。
 元館長が証言する。「余震が続いたため、全員を屋外に避難させた。電話も携帯も無線もつながらず、市役所と連絡がとれなかった。防災無線放送も鳴らなかった」
 情報が途絶する中、状況はこの後一変する。
 元館長によると、午後3時20分すぎ、ある消防関係者がやって来てこう告げたというのだ。
 「大津波が来るから2階の建物ではもたない。全員を3階がある中学校に避難させてほしい」
 元館長は「制服を着た人だったので従った。もっと高い所へ、という判断は正しいと思った。結果的に犠牲者を増やしたならば、その責任は私にある」と悔しがる。
 津波が襲来したのは3時50分すぎ。元館長は、阿部さんや住民ら数十人と公民館2階に逃れ、間一髪で命拾いした。津波は2階の床すれすれまで達した。

<なぜ>
 名取市消防本部によると、市の防災計画では公民館は地震や津波の避難場所で、たとえ大津波警報が発令されても他の場所へ移動させる規定はない。
 今野新一消防長は「公民館にとどまるのが避難の原則。当日、住民を中学校へ移動させる命令を署員や消防団に出してはいない。現地で勝手な判断をするはずはあり得ないのだが…」と、首をかしげる。
 市内では震災で約900人が犠牲となった。避難誘導に当たった消防署員3人と消防団員15人が殉職した。中学校への移動指示を、誰がどういう理由で出したのか、真相は今も不明だ。=2011年8月3日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年02月28日火曜日


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