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<回顧3.11証言>「5差路」に車殺到

津波は車などを巻き込みながら押し寄せ、5差路をのみ込んだ=2011年3月11日午後4時10分ごろ、宮城県名取市閖上

 東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県名取市閖上地区では、指定避難場所の閖上中の目前で、津波にのまれた人が多数いた。閖上公民館に避難した人々が閖上中に誘導され、指示に従って移動していたところを津波が襲ったという。同公民館も指定避難場所で、避難誘導は市の防災計画の規定にない。周辺の主要道路は、事故と信号ダウンなどで渋滞が発生。近くに高台がない地域で、避難者は大混乱に陥っていた。(小島直広、末永智弘、勅使河原奨治)

◎名取・閖上混乱(下)

 宮城県名取市閖上周辺の道路は巨大地震の直後、激しい混雑で車が身動きの取れない状態に陥っていた。閖上大橋は事故で通行止めになり、そのたもとの5差路は車が殺到、信号も機能しない。周囲に高台が少なく、車を使った避難者が多かったことに加え、道路の構造にも被害を拡大する要因が潜んでいた可能性がある。

 閖上地区から内陸部へ向かう場合、主に二つのルートがある。閖上中や閖上公民館の前を通る市道と、バス通りと呼ばれる名取川沿いの県道閖上港線だ。二つの道路は閖上大橋のたもとで県道塩釜亘理線と交わり、5差路を形成している。
 地震直後の2011年3月11日午後3時前、5差路の先の閖上大橋でトレーラーの積み荷が落下し、対向車をつぶす事故が起き、橋は通行止めになった。複雑な車の流れを整理する信号は停電で消えた。
 「橋を通って仙台方面に向かおうとする車と、内陸へ避難する車が続々と来た。5差路と周辺で車が滞留し始めた」
 仙台市内の勤務先に向かっていた会社員吉田唯樹さん(34)=青葉区=は振り返る。吉田さんは車から降り、交通整理を始めた。
 橋の通行止めで仙台方面へのルートが閉ざされたため、ほとんどの車が内陸部に通じる県道閖上港線に向かい、車の流れが滞った。
 午後3時25分すぎ、5差路前の倉庫会社の従業員加藤千加子さん(56)=太白区=は渋滞にはまった。「早く帰宅したかったのにノロノロとしか進まず、焦った」
 午後3時50分。津波は閖上に迫っていたが、5差路よりも海に近い公民館や閖上中付近の道路でも渋滞は続いていた。
 閖上大橋の事故現場へ向かった岩沼署交通課の斎藤武志警部補(51)は「避難先の閖上中に入ろうとする車で、公民館前付近から前に進めなくなった。パトカーのサイレンを鳴らし、対向車線を走った」と語る。
 閖上4丁目の会社員小斎誠進さん(42)も同じころ、公民館前から車が数珠つなぎになっているのを目撃している。歩いて閖上中に移動する人も大勢いた。
 「名取川河口に迫る大津波が見えたので、自転車を必死にこいだ。『すごい津波だ。逃げて』と周囲に声を掛けまくったが、半信半疑の人が多かった」
 小斎さんはこう証言する。5差路まで到達した時には、名取川を逆流した津波が堤防を越えかかっていた。「間に合わない、車を降りて逃げろ」。小斎さんは付近の車に叫び、車列を縫って近くの閖上小に逃げ込んだ。
 5差路で交通整理をしていた吉田さん。白波が川をさかのぼり、住宅街から土煙が上がっていることに気付いた。
 「慌てて5差路をまたぐ歩道橋に駆け上がった。津波が車や船を巻き込んで一気に押し寄せ、間一髪だった。歩道橋には50人ほどが避難していた」

◎高台遠い平野部、避難道路整備を/東洋大・関谷直也准教授

 東洋大などが2011年4月下旬に行った「避難所住民調査」では、東日本大震災の発生直後、名取市閖上地区では車での避難が6割に上るなど、車への依存度が高かった実態が浮き彫りになっている。東洋大の関谷直也准教授(災害情報)は「高台が遠い平野部では、車でなければ避難できない人が多かった。その事実をきちんと受け止め、教訓にしなければならない」と指摘する。
 関谷准教授は、閖上公民館から閖上中への避難誘導について「公民館、閖上中とも、津波ハザードマップは1階でも浸水しない想定だった。情報が少ない中でより高い、安全な場所へ移動させようとした現場の判断を、一概には非難できないだろう」と話す。
 その上で5差路交差点付近で津波にのまれた人が多数出たことについては「5差路という構造が渋滞を引き起こした。それが避難者が集中する地点にあったことが問題だった」と語る。
 関谷准教授は「これまで津波避難に車利用はタブー視されてきた。しかし、平野が続く閖上のような地域では有効な面も否定できない。5差路を解消し、早く安全に車で避難できる道路整備を、復興計画に盛り込む必要がある」と提案する。=2011年8月3日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年02月28日火曜日


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