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<私の一歩>菓子作り人とつながる

「人とつながっていくのが楽しい」。笑顔で接客する佐藤さん=仙台市若林区蒲町南の「はおはお」

 震災からもうすぐ6年。さまざまな形で自分の一歩を踏み出した人たちの今を取材した。

◎震災6年(1)佐藤紀子さん=仙台市=

<自宅と義父失う>
 手作りの焼き菓子が並ぶ店内で、店主と客の笑い声が響き合う。東日本大震災の被災者が暮らす防災集団移転先の仙台市若林区蒲町南の住宅の一角で、昨年5月オープンした「はおはお」。店名は中国語の「好好」から付けた。台湾名菓のパイナップルケーキが看板商品の小さな菓子店だ。
 「私の作ったお菓子を買いに来てくれる人がいるのがうれしい。生きる目標を見つけた」。店主の佐藤紀子さん(51)の言葉には万感がこもる。
 津波で若林区荒浜新の自宅が流され、近くに住んでいた義父を亡くした。夫の実家があった荒浜地区に居を構えたのは震災の2年前だった。
 震災前、農家の義父の手ほどきで田植えや野菜作りに挑戦。本気で農業をやろうと思っていた矢先、慕っていた義父を失った。「夢も希望もなくなったとは、こういうことか」。震災後は「死にたい」と口走ることもあった。
 立ち直るきっかけが菓子作りだった。震災の約4カ月後、手製のシュークリームを持って仮設住宅の知り合いを訪ねたところ、大喜びされた。忘れていたうれしさがこみ上げた。

<レシピ見つかる>
 20代の頃に菓子職人を志し、製菓衛生師の資格を持つ。夫の仕事のため10年間暮らしたマレーシアでは、菓子作り教室を開いた。
 「お菓子で人とつながれればいい」。そんな思いが募ったのは、幾つかの出来事が重なったからだ。
 一つは、菓子作りのノウハウが詰まった独自のレシピ集が、がれきの下から出てきたこと。「本やノートで出てきたのは、これだけ」。自衛隊による自宅の解体に立ち会い、偶然見つかった。
 そして、マレーシア時代から交流が続く台湾出身の友人から、パイナップルケーキのレシピと製菓道具を贈られ、励まされたこと。「希望の光だった」。人のぬくもりに触れ、次第に生きる意欲を取り戻した。
 「みんな大変な思いをして今がある。これから先の人生は、とっても良くなるように」。店名に、その思いを込めた。
 家族と暮らす新しい街の一部を形作る店。「近所の人に愛され、細く長く続けたい」と思う。(報道部・小沢一成)


2017年03月01日水曜日


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