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<震災6年>料理で海の町支える

待ちに待った開店の日を迎え、海鮮丼を作る守屋さん(左)

 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に3日開業した「南三陸志津川さんさん商店街」で、同町歌津の守屋亮良(あきよし)さん(33)は念願の独立を果たし、飲食店「かいせんどころ梁(りょう)」を開いた。「南三陸ならではの食材を生かし、漁師たちを支えたい」。海の恵みに地域再生の願いを託す。
 正午の開店後、あっという間に約30席が埋まった店内で、守屋さんは四角い器にホタテ、タコ、シラスを丁寧に盛り付けた。彩り鮮やかな町名物「南三陸春告げキラキラ丼」を提供し、次々と客を笑顔にした。
 守屋さんは震災当時、東京都のちゃんこ専門店で働いていた。発生から数日後、支援物資を積んだ車で戻った古里は、何もかもがめちゃくちゃになっていた。自宅から逃げ遅れたとみられる父政良(まさよし)さん=当時(64)=は帰らぬ人になった。
 悲しみに暮れる家族を支えようと帰郷を決意。宮城県漁協で緊急雇用の職員となり、漁船の新造に関わった。地元漁師と対話を重ねるうち、「この町は海に生かされている」と改めて感じた。地物を使った料理で1次産業を下支えしたいと意欲が湧いた。
 新しい商店街での開店を目指して2014年に東京へ戻り、同じ店で修業させてもらった。親方の厚意で、門外不出の鶏がらスープを使ったレシピを継承した。東京と北海道の計2店でしか出していない貴重な味。いずれ提供するつもりだ。
 新しい店のメニューは季節の魚介類を使った汁物や鍋が中心となる。「タラやサケ、カキと南三陸では鍋に合う海産物がたくさん採れる。家族で囲んでほっとできる料理を出したい」と語る。通信販売も考えている。
 守屋さんの祖父と父は共に大工だった。好きな仕事に就くことを許してくれた父に感謝し、店の名前は「棟梁(とうりょう)」から1字取った。内装工事は父が生前、世話になっていた地元の建設会社が手掛け、県産の木材をふんだんに使う。
 町の人口は震災後、3割減った。開業のリスクも分かっている。「被災地支援のために人々が訪れてくれることに甘えず、ここでしか食べられない味を通して観光客を呼び込む」と未来を見据える。


2017年03月04日土曜日


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