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<3.11明日への証言>自分の役割果たすだけ

土坂峠に立つ励さん。当時、路面には新雪が降り積もっていた=岩手県大槌町

 震災から月日が流れた。あの日あったこと、明かせずにいた思い。6年がたつ今だからこそ、記憶が薄れる前に、伝えたい「あの日」を振り返り、明日へつなげよう。

 東日本大震災時、岩手県大槌町の大槌高には近隣住民ら約500人が身を寄せた。毛布や灯油は不足し、幹線道路は津波で寸断され、電話も通じない。釜石市の板金業佐々木励(つとむ)さん(35)は同校教諭だった妻絵梨子さん(39)の安否を気遣い、学校に駆け付けた。その後、車で二つの峠を越え、内陸の遠野市に救援を要請した。

◎震災6年(2)救援求め峠越え遠野へ(岩手・大槌町)

<沿岸道路は寸断>
 真っ暗な峠をひた走る。車のライトが照らすのは、急勾配と曲がりくねった道。新雪が積もった路面は幸い、凍っていなかった。
 2011年3月12日未明。励さんは、岩手県大槌町の大槌高から車で遠野市を目指した。津波で海沿いの道路はずたずた。土坂、立丸の二つの峠を越える道だけが生きていた。
 11日午前。励さんは絵梨子さんと県立釜石病院にいた。結婚4年目で待望の妊娠を告げられた。夜に実家でお祝いすることを決め、それぞれ仕事に出掛けた。
 大地震の後、大津波警報が発表された。「校舎は高台なので安全だ」と考えていたが、少しずつ不安が増す。電話はつながらない。様子を見に行こうと、午後7時半ごろ家を出た。
 沿岸部を南北に走る国道45号は使えない。内陸を大回りする遠野経由で向かう。3時間ほどで同校の手前約800メートルの地点に着いた。警察や消防に「車はこの先通れない」と止められた。

<物資が足りない>
 東の空が明るく、爆発音が聞こえる。市街地を襲った火災だ。長靴に履き替えて歩き始めた。あちこちに車や丸太が転がり、山際には船が漂着している。
 校舎にたどり着き、やっと絵梨子さんに会えた。保健室でずぶぬれの女性の体を温めるなど対応に追われていた。職員は約20人。近くの小学校教諭らも加わったが、人手は足りない。連れ帰るのは諦めた。
 「毛布も灯油も不足している。釜石市役所に助けを求めてくれ」。戻ろうとすると校長らに頼まれた。
 ラジオは大槌町役場への連絡が取れないと報じていた。「道がつながっている遠野市に必ず伝えます」と応じた。
 峠越えの約60キロの道のりを走り出した。「釜石の人間の話を聞いてもらえるだろうか。遠野市長に直接会いたいが、顔も分からない」。内心は不安でたまらなかった。
 12日午前1時39分。迎え入れられた遠野市の災害対策本部で訴えた。「大槌は悲惨な状態。大槌高に500人が避難している。助けてほしい」
 通信途絶で各地の被災状況が不明で、必要な支援も分からない中にもたらされた貴重な情報。市はすぐに毛布250枚や灯油90リットル、食料を持った先遣隊を出した。峠道は凍結していた。
 早朝、遠野から大槌高に物資が到着した。絵梨子さんは安心すると同時に夫を誇らしく思った。数日後ようやく帰宅した際、2人は「届いたか」「届いた」と言葉を交わした。

<みんなのために>
 あれから6年がたつ。普段は当時の行動を思い出すことはない。
 励さんは「あの夜は生徒たちも一生懸命、避難所の運営を手伝っていた。妻やみんなのために自分の役割を果たす。それだけだった」と振り返る。
 11年秋に誕生した長女には、竹のように丈夫にしなやかに育ってほしいとの願いを込め、篠(しの)と名付けた。5歳になった。(釜石支局・東野滋)


2017年03月06日月曜日


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