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<回顧3.11証言>危険顧みず刻々と発信

気仙沼市役所前の道路に流れ込んだ津波。この模様をツイッターは実況中継した=2011年3月11日午後3時40分ごろ(気仙沼市提供)

 東日本大震災で宮城県気仙沼市は、短文投稿サイト「ツイッター」で住民に避難を呼び掛けた。あの日、市の担当者が命の危険を感じながら発信し続けたツイッターによる「つぶやき」は60回以上。どれほどの市民が読み、避難したかは確認できないが、被害状況を全国に発信する重要な役割を果たした。(神田一道)

◎気仙沼市、ツイッターで避難誘導(上)

<指示>
 2011年3月11日、気仙沼市役所は朝から市議会の対応に追われていた。本庁舎3階会議室では新年度の予算案を審議する特別委員会が開かれ、市議と職員が質疑応答を交わしていた。
 午後2時46分、激しい横揺れが会議室を襲った。「机の下に入って」。危機管理課課長の佐藤健一さん(58)が叫んだ。揺れが収まると、隣の庁舎にある危機管理課に駆け込んだ。
 停電でテレビが映らない。固定電話も使えない。ツイッターは何とか送信できることが確認できた。間もなく、沿岸部に大津波警報が発令される。「ツイッターで住民に避難を呼び掛けろ」。佐藤さんは近くにいた同課主幹の伊東秋広さん(41)に指示した。

<襲来>
 「宮城県沿岸に大津波警報 高台に避難」(午後2時55分)
 防災行政無線からは、津波の襲来を告げる情報が次々と流れてくる。伊東さんは無線を聞きながらノートパソコンのキーをたたいた。
 「大津波警報 予想される津波高6メートル すぐに高台へ避難」(午後3時4分)
 「津波が到達しています すぐに高台へ避難」(午後3時31分)
 津波は八日町にある庁舎1階に達した。危機管理課は2階だ。伊東さんは自身の安全とともにパソコンがぬれることも心配し、急いで4階の駐車場に駆け上がった。
 「津波は八日町まで来ています すぐに避難」(午後3時38分)
 「大津波すぐに避難 第2波のほうが大きいという情報」(午後4時23分)

<火災>
 海岸部に目を向けると、鹿折地区が災に包まれていた。ガスボンベが爆発する音も響いた。
 「市内各地に火災発生中 海岸に近づかないようにすぐに避難」(午後7時19分)
 「仲町宮脇書店から魚市場前まで火災延焼中 避難所から戻らないように」(午後8時11分)
 危機的な状況を、伊東さんは簡潔な描写で伝え続けた。パソコンの通信がつながりにくくなった後は、携帯電話から発信した。しかし通信状況は次第に悪化する。
 「また津波が来ています。避難所から出ないでください」
 午後10時37分。送信して間もなく、携帯電話は「圏外」を示した。この日、伊東さんが発信したツイート(つぶやき)は62本に上った。
 市は2010年7月、災害時の住民の避難誘導などに活用するため、ツイッターによる情報発信を始めた。伊東さんはその発案者だった。=2011年9月28日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月07日火曜日


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