宮城のニュース

<3.11明日への証言>「町のため」懸命に給油

治療院を訪れた人の体を丁寧にもみほぐす三浦さん

 震災から月日が流れた。あの日あったこと、明かせずにいた思い。6年がたつ今だからこそ、記憶が薄れる前に、伝えたい「あの日」を振り返り、明日へつなげよう。

 宮城県南三陸町歌津のガソリンスタンド「三浦石油」は、東日本大震災で町もろとも津波にのまれた。「油が必要とされている」。経営していた三浦文一(ぶんいち)さん(63)は2日後、がれきをかき分けて営業を再開。地下タンクのガソリンを手動ポンプでくみ上げ、ずらりと列を作る車に給油し続けた。

◎震災6年(4)2日後再開のスタンド(宮城・南三陸町)

<両親が行方不明>
 命からがら津波を逃れた三浦さんが避難所にたどり着くと、声が上がった。
 「三浦石油、来たど」
 つなぎ姿が燃料を届けに来たと誤解された。
 ガソリンや灯油の供給が途絶えていた。暖を取るのも、家族を捜しに行くのもかなわない。
 「燃料がなくて皆困っている。今は油の1滴が希望の一滴だ。店を開けるぞ」
 気がふれたのかと家族はあきれた。町は壊滅状態。伊里前川の河口から数百メートルの店は骨組みだけを残す。
 隣接する自宅は跡形もなく、町内に住む父鶴雄さん=当時(82)=と母やえ子さん=当時(79)=は行方不明になっていた。
 「両親も町のために働いてほしいはず。泣いていても始まらない。できることを探す」。なりふり構わず三浦さんは立ち上がった。
 給油機は壊れたが、地下タンクにガソリンが残っているはずだ。
 借りてきた手動ポンプで約6メートル下のタンクの底から少しずつくむと、透明の水がオレンジ色に変わった。
 ガソリンだ。「よーし、行ける」

<命懸けの恩返し>
 震災の2日後、廃虚のような店で営業を再開した。
 がれきの脇に長い車列ができた。人力による給油は1日300台が限界で、翌朝の開店を車内で待つ人もいた。
 並んだのは世話になった顔ばかり。漁師だった鶴雄さんが店を開いて半世紀。この町に育てられてきた恩を返す時だ。
 1台でも多く、と必死で重いポンプを回した。右腕は感覚を失い、目は真っ赤にただれた。
 揮発性の高いガソリン。火花が飛んで爆発する危険がある。命懸けだった。
 自らを、町を、奮い立たせるように看板を立てた。「津波のバカ! でもがんばっぺ!!」

<心と体を癒やす>
 やえ子さんは3月下旬、遺体で見つかったが、鶴雄さんは行方が分からないままだ。2014年、伊里前川の拡幅工事に掛かり、店を閉めた。
 「6年前は皆同じ方向を向いていた」。三浦さんは時間の経過とともに生じた問題を気に掛ける。
 アルコール依存症、うつ病、家庭内暴力、不登校。若い人や力のある人は町を去り、残るのはお年寄りなど弱者ばかり。心身に不調を抱える人が少なくない。
 整体師の資格を持つ三浦さんは15年、実家の跡地に治療院を開いた。「体と心を癒やす場所が必要だ」。心理カウンセラー、うつ病アドバイザーの技術を身に付けた。
 週4日、町の災害公営住宅から妻の静子さん(63)と通う。訪れる人たちの声に耳を傾け、汗だくになって凝りをもみほぐす。
 「ここは人とのつながりを大切にする町。形は変わっても、町のためにできることを続けていくよ」(報道部・伊東由紀子)


2017年03月08日水曜日


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