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<回顧3.11証言>屋上か高台か 迫る波

防潮堤のすぐ内側に立つ避難ビルの松原住宅。4階屋上まで津波をかぶり、駆け込んだ住民らは柵につかまって必死に耐えた=2011年9月29日、宮城県南三陸町志津川

 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)

◎宮城・南三陸町営松原住宅(上)

<葛藤>
 腰近くまで波しぶきが迫る。町営松原住宅の屋上。1階から避難した菅原恵さん(46)は夫昌孝さん(51)と、4歳の長男大ちゃんを水にぬらすまいと必死にかばった。
 「まさか、ここまで津波が来るなんて。神様、どうか助けてください。死にたくない」。柵にしがみつき祈った。
 屋上か、それとも高台か―。住まいは避難ビルだが、葛藤があった。震災発生から約30分。目の前に広がる海の異常な引き波を見て、菅原さん夫婦の顔はこわばった。「これはまずい」。津波の襲来を察知した。
 「どうする? 志津川小学校に逃げるか」。高台の同小までは直線で約1.5キロ。車で10分もかからない距離だ。「でも、橋が落ちて渋滞していたら終わりだ」。夫婦は屋上を目指す。
 松原住宅が立つ同町志津川地区の汐見町周辺は平地で、そばに高台はない。津波到達まで時間がないと予想される場合、松原住宅は一時避難所としての機能を担う。
 「到達予想の3時まで10分もない。早く逃げなければ」。松原住宅から約100メートル北東の公民館で、町職員石沢友基さん(28)は焦っていた。
 公民館に隣接する体育館にいた志津川高の卓球部員17人が外に飛び出し、うろたえている。「あの建物の真ん中に階段あっから、上まで上がってい
け!」。迷わず松原住宅への避難を指示した。
 当時、松原住宅には48世帯107人が入居。屋上に避難した44人のうち、入居者は22人だったとみられる。
 「頑張れ、頑張れ」。波が襲った屋上では、住民が声を掛け合い、柵にしがみついた。はるか遠くにさらに巨大な波が見える。「これ以上波が高かったら、もう助からない」。菅原さんは息をのんだ―。

<集中>
 志津川小校庭。「あっ、波が乗った、ああーっ」。松原住宅の自宅から逃げてきた臼井恵美さん(35)は、波が住宅をのみ込む瞬間を目撃した。
 屋上に逃げようとは思わなかった。「高さが15メートルといっても、真っ正面から津波を受け止めるなんて。建物自体が防波堤みたいで怖かった」。駐車場では、入居者が慌ただしく車で避難しようとしていた。
 臼井さんは志津川小に通う2人の子どもを案じ、車で同小へ。ただ、ハムスターなどのペットを連れ出すのに手間取り、出発が遅れた。小学校付近の坂道は車が集中し渋滞。「5台ほど後ろの車が波でスーッと流れた」。危機一髪。津波はすぐ背後まで迫っていた。

<救出>
 波をかぶった松原住宅の屋上では、修羅場が待ち受けていた。雷鳴とともに雪が吹き付ける。「上がれる人は上がって!」。波は大人のひざほどの高さで止まったが、住民らは次を警戒してエレベーターホールの天井に上った。水位が下がったのは午後5時すぎだ。
 屋上は雪で白く染まり、冷え込みが厳しい。石沢さんは避難者と協力し、水が引いた部屋からふすまなどを運び出し、風よけを作った。「辺り一帯はガス臭くて、明け方まで火をおこすことができなかった」
 菅原さんの背中で、大ちゃんが繰り返しせがむ。「ママ、おなかすいたよ」。低血糖で体調不良を訴える高齢者もいた。高校生が持っていたあめ玉や飲み物でしのいだが、衣服がぬれた住民の疲労は限界に近かった。
 屋上の避難者が全員救出されたのは、翌日夕方。徒歩で避難する途中、菅原さん夫妻は遠くに住宅を見やり、生きている実感をかみしめた。
 「怖い思いはしたけれど、あの建物が倒れなかったからこそ、救われたんだ」=2011年10月2日、河北新報

<津波避難ビル>住民らが緊急避難するための海沿いのマンションやビル、公共施設。自治体が所有者と協議して指定する。内閣府によると2010年3月時点で、沿岸部の653市区町村のうち、指定されているのは137自治体の計1790カ所にとどまる。
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月08日水曜日


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