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<回顧3.11証言>強度設計 生きた

地盤沈下が進んで基礎がむき出しになった松原住宅。十分な強度設計が施され、倒壊を免れた=2011年7月26日、宮城県南三陸町志津川

 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)

◎宮城・南三陸町営松原住宅(下)

 荒涼たる海岸沿いにぽつんと立つ宮城県南三陸町の町営松原住宅。東日本大震災で、屋上に避難した住民らはこう振り返る。「夜通し襲ってくる余震と津波で、建物が倒れてしまうのではないかと不安だった」
 震災から半年余り。建物周囲の土地は浸食によって海水が流入し、住宅はあたかも志津川湾に浮かぶ島のようだ。地盤沈下が進行し、一時は建物の下に空洞が生じていたが、くいの打ち込み部分はしっかりと残る。
 東西2棟から成る松原住宅は築年数が浅く、1棟目が2005年10月、2棟目が06年3月に完成した。周辺にはグラウンドや公民館がある。周辺一帯は公園として整備。高台がないため、松原住宅は町民の避難場所としての役割が重視された。

<指針見直しに反映>
 手を伸ばせば海に届きそうな立地。高さ5.5メートルの防潮堤のすぐ背後だけに、異論もあった。「チリ地震津波(1960年)の浸水域に建てなくても」「津波が来る海に向かって逃げるのか」。合併前の旧志津川町が整備を検討した当時、町議会ではこんな批判があった。
 佐藤仁町長は計画当初、東北大災害制御研究センターの今村文彦教授(津波工学)に相談。今村教授は「周辺に避難場所がなく、強固なものを建てれば避難ビルになるので賛成だ」とした上で、強度設計に十分配慮するよう助言した。
 松原住宅は鉄筋コンクリート(RC)造りで、建物のたわみが少なく、地震に強いとされる壁式工法を採用。沿岸部の地盤は弱いとされたため、深さ22メートルの岩盤層まで約240本のくいを打ちこみ、倒壊防止を図った。建物を1.5メートルかさ上げするなどの津波対策も施した。
 2005年に内閣府が策定した津波避難ビルのガイドラインでは、指定要件として(1)1981年の新耐震設計基準に適合するRC構造(2)予想浸水が3メートルの場合は4階建て以上―などとしている。
 松原住宅は倒壊を免れたが、他の地域ではRC造りの建物が津波で倒壊するケースもあった。震災を受け、国土交通省は被害建物の調査に着手し、今後の避難ビルの構造設計法とガイドラインの見直しに反映させる。

<高さ5階以上必要>
 建物の強度検証などとともに、被災住民は十分な高さの確保や孤立を防ぐ対策を求めている。
 松原住宅の屋上に避難した菅原恵さん(46)は「地震後にすぐに逃げるなら山を選ぶ。もし波が迫れば、陸続きで山伝いに逃げられる」と指摘。夫の昌孝さん(51)も「避難建物の階数を高くすると同時に、避難の長期化も想定して、せめて乾パンぐらいの備蓄がほしい」と言う。
 屋上を避け、志津川小に車で避難した木下美紀さん(37)も「屋上に逃げても助けは来ないと思った。浸水したら孤立は避けられない。飲料水すらない避難ビルなんて…」と語る。
 地震・津波対策を検討する中央防災会議の専門調査会は、2011年9月28日にまとめた最終報告で「5分程度で避難が可能となるよう、津波避難ビルなどを整備するべきだ」とその重要性を指摘した。
 今村教授は「今回、屋上まで浸水したことを考えると、5階以上の十分な高さが避難ビルには必要。その上で、ビル間を結ぶなど、さらに高い場所に移動できる手段の確保が求められる。最前線で活動する消防団の安全性も高まる」と課題を指摘する。=2011年10月2日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月08日水曜日


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