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<千葉すずと被災地>背中を押してあげたい

「結局、自分の問題。五輪のメダルを取れなかったことに悔いはない」と笑顔で話す千葉さん=河北新報社

 かつて天才スイマーと呼ばれた少女がいた。仙台市出身の元競泳五輪代表、千葉(本名山本)すずさん(41)=奈良県在住=。世界に最も遠いと言われた女子自由形で、恵まれた体格を生かしたスケールの大きな泳ぎで世界の強豪と伍(ご)した。1992年バルセロナ、96年アトランタの両五輪に出場したが、メダルには縁がないまま引退。その後、マスコミの前から姿を消したが、結婚を経て子育てが一段落した3年ほど前に障害者向け水泳教室や講演活動を始めた。今、東日本大震災の被災地へ足を運び、古里にも心を寄せる。(聞き手は宮田建)

●なくなった田舎
 <2011年3月11日、石巻市北上町十三浜吉浜の父健司さん(74)の実家は津波の被害に遭った>
 両親は今も仙台市にいる。吉浜に住んでいた、いとこの家族は留守で無事だった。集落はほとんどの家が失われ、父の同級生も大勢亡くなった。両親や宮城にいる2人の兄はすぐ駆け付けたが、私が行ったのは2年後の盆の墓参りだった。
 その時は家が改修されていたのに、昨夏に再び訪れると、災害危険区域になり取り壊されていた。子どもの頃によく行ったが、昔の集落が思い出せない。最初から何もなかったように見えた。
 ショックだった。初めて父の田舎がなくなったと実感した。父の帰る場所が跡形もなくなった。全てが奪われる意味が、この時初めて分かった気がした。
 さまざまなスポーツ選手が被災地に行き、被災者を励ました。大阪の友人に「すずも行かないといけないとちゃう?」と言われたが、「行っても何もできへん」と最初は行かなかった。
 何かしてあげたいと今も思うが、何ができるのか分からない。震災後、仙台市での水泳教室に招かれた。速く泳ぎたいという元気な人が多くて、自分の思いとのギャップを感じた。水泳でなくてもいい。ちょっと話をして、おじちゃんや子どもが元気になれば、それで私も幸せ。
 日本人は熱しやすく冷めやすい。五輪になれば普段水泳を見ない人まで「メダル、メダル」と大騒ぎする。震災への支援や報道もそう見える。自分が必要とされる時に、縁が生まれると思っている。

●障害者とともに
 <小5の長男、小4の長女、小1の次男、6歳の次女と4児の母。次女が幼稚園に入ってから水泳教室や講演活動を始める>
 アトランタ五輪後に一度、現役を引退し留学先の米国で子どもに水泳を教えた経験が生きている。14年から毎年夏、大阪で子どもや障害者が健常者と一緒に学ぶ水泳教室で教えている。定員30人の半分が障害者。
 海外では障害者がファストフード店の店員などとして、どこででも普通に働き、同性愛のカップルがいちゃいちゃしている。私が練習したカナダのプールでも、盲導犬とやって来た少女が毎朝泳いでいる。全国大会も障害者が同じ会場、同じ日程でそれぞれのレースに臨み、代表合宿も一緒だった。
 「むっちゃ自然やん」と思って帰国すると、日本では障害者をほとんど見かけない。バリアフリー化が遅れていて、外出も大変。
 私の知名度で家から出てきて参加する障害者がいるなら、と講師を引き受けた。すると、水泳は初めてという女の子が来た。最初は浮くのがやっとだった脳性まひの彼女は私に褒められたい一心で練習し、3年目には泳いでいた。講演会では育児ノイローゼで家に引きこもっていた女性が、私の話を聞いて泣いていた。
 自分はこういうことがしたいんだと痛感した。背中をぽんと押さないといけない人をどうにかしてあげたい。それは被災者かもしれない。社会は変えられないけれど、プールの中なら何かできるんちゃうかな。

●次の目標掲げて
 <連続2度出場した五輪でメダルを取れなかった>
 最初は純粋に五輪に出たい一心だった。それが15歳の時、世界選手権で銅メダルをまぐれで取って人生が狂ってしまった。周囲はメダルを期待するが、現役時代はずっと自信が持てず、取れると思ったことは一度もない。
 苦しい練習をしてきたんだから、五輪のメダルが欲しくないわけじゃないが、取れなくて良かったと今は思う。取っていたら人生が変わった。取れなかったから、次を目指して頑張るし、引退後も頑張れる。次の目標を掲げて努力することに意義がある。被災者もそうだと思う。これからの時間をどう生きるかですよ。
 本当に幸せなんだろうかと思うメダリストもいる。メダルは人生の目標ではない。生活が充実し、幸せなら人生は「勝ち」です。

 ▽千葉すず(ちば・すず)本名山本すず。身長172センチ。10年に一人の大型スイマーと言われ、特にストロークは天性と称された。
 中学2年で日本選手権200メートル自由形初制覇。3年時に世界選手権400メートルで銅メダルに輝き五輪、世界選手権の女子自由形で日本人初のメダリストに。愛くるしい笑顔が「すずスマイル」と呼ばれ、日本競泳界のヒロインになった。
 高校卒業後、女子自由形の英雄ジャネット・エバンス(米国)を育てたバッド・マカリスター氏に師事。日本記録を幾度も塗り替え、25歳で引退するまで、日本女子競泳陣をけん引した。
 2000年シドニー五輪代表選考会で標準記録を突破し優勝したが、選ばれなかったため国際機関のスポーツ仲裁裁判所に、五輪出場と代表選考の明確な基準を求めて提訴。訴えは棄却されたが、選考基準の明確化、透明化に一石を投じた。


2017年03月09日木曜日


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