福島のニュース

<あなたに伝えたい>笑われぬ生き方したい

汐凪さんの遺骨が見つかった付近の土砂から、ふるいを使って「生きた証し」を今も捜し続ける紀夫さん=2月4日、福島県大熊町

 木村汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=は、福島県大熊町熊川で父紀夫さん(51)らと6人暮らしで、小学1年だった。車で一緒に帰宅した祖父王太朗(わたろう)さん=当時(77)=と、母深雪(みゆき)さん=同(37)=も津波の犠牲になった。町でただ1人の行方不明者だったが、昨年12月、遺骨の一部が見つかった。

◎七回忌に寄せて(10)いつも走り回り笑っていた娘/木村紀夫さん(長野県白馬村)から汐凪さんへ

 紀夫さん 汐凪、ごめんな。がれきの下で6年近くも待たせてしまって。
 ヒマワリみたいな女の子でした。生まれたときの晩夏の海のように穏やかな優しい子になってくれればと名付けたけど、そうはならなかったですね。いつも走り回って笑っていました。
 震災時は福島県富岡町の養豚場で働いていました。復旧作業に追われ、家に戻ったのは夕方。土台しか残っていませんでした。
 昨年、自宅跡に近いがれきの山から遺骨が見つかりました。本当は喜ばなければならないけど全然そういう気持ちが湧きません。がれきと一緒に運ばれ、復興へと急ぐ世の中で一人取り残された汐凪。申し訳ないし、むなしくもなります。
 七回忌を前に独りぼっちじゃなくなるのは良かったかな。遺骨はほんの一部で、妻と父と3人そろったとまでは言えないけれど。
 3キロ先の東京電力福島第1原発で事故が起きなければ、きれいな姿ですぐ見つかったかもしれないし、つらさや怒りは消えません。
 たった1人で始めた捜索でした。長女と暮らす長野県白馬村から車で500キロ、通い続けています。
 今は多くの手助けをもらっています。ボランティア団体の名前は「チーム汐笑(ゆうしょう)」。汐凪を捜すことでつながりが広がりました。菜の花の油で燃料を作ろうとか、原発を動かさないために電気をなるべく使わずに暮らすとか、生きがいを見つけられている気がします。
 震災後しばらく笑えませんでした。笑顔を取り戻せるように、汐凪が導いてくれているのでしょうね。
 自宅跡周辺は3人とつながれる場所。帰還困難区域で、除染廃棄物の中間貯蔵施設の予定地ですが、売る気も貸す気もありません。
 原発事故と津波から生き延びた人間として、汐凪たちに笑われない生き方をしたい。そう思っています。
 ありがとうな、汐凪。


2017年03月10日金曜日


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