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<回顧3.11証言>放射能汚染 非公表の“非情”

 福島第1原発事故で福島県浪江町の住民が集団避難した同町津島地区は、高濃度の放射性物質が降り注いだ地域だった。だが、放射性物質が大量に漏れた情報は国や東京電力からもたらされず、住民は自分の身に危機が迫っていることを知らずに事故後の4日間を過ごした。(勅使河原奨治)

◎福島・浪江町民、高線量地と知らず避難(下)

 福島第1原発事故で、国や福島県、東京電力は放射能汚染情報を明らかにせず、浪江町民を放射性物質が拡散した危険な地域に置き去りにした。「公表基準が確立されていなかった」「情報の信頼性が不十分と判断した」。それぞれの立場で釈明するが、非公表によって、一時的にでも住民の生命と健康が危険にさらされる状況に追い込んだ責任は重い。
 第1原発の敷地には放射線量を測るモニタリングポストが複数箇所に設けられている。東電は1号機が爆発した2011年3月12日午後3時36分の約20分前、浪江町津島地区の方向を示す北西側のポストで測定を開始。約2分ごとにデータを取り、翌13日午前9時までに限っても548回の測定値を得た。
 東電は13日午前9時以降に測った値は明らかにしたが、それまでの548回の分は5月28日まで公表しなかった。548回の中で最高値だった3月13日午前8時33分の毎時1204マイクロシーベルトも長らく世に出なかった。
 東電は非公表の理由として、公表の判断基準が不明確だったことや広報部にデータが届かなかったことを挙げる。浪江町は東電と1998年、原発トラブルの際に通報連絡を徹底する協定を結んだが、全く機能しなかった。
 最新技術で放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」も、国と福島県のデータ公表の不手際で宝の持ち腐れになった。
 SPEEDIを運用する財団法人原子力安全技術センター(東京)は地震発生の数時間後、放射性物質の拡散予想の解析を開始。浪江町津島地区のほか、飯舘村、川俣町など北西方向の地域に広がっていたことが分かった。
 解析結果は3月12日午前3時から1時間おきに福島県庁にメールで送られた。しかし、県災害対策本部に受信確認の連絡はなく、メールの存在に気付く職員はいなかった。SPEEDIの端末に接続できる県庁の設備が地震で使えなくなる不運も重なった。
 対策本部は13日朝、国が前日に避難指示を半径20キロの同心円状に広げた根拠を確かめるため、SPEEDIの解析結果をファクスで取り寄せた。これまでの防災訓練では拡散予想を基に避難域を決めていたからだ。
 この時点で県も放射能汚染が北西方向に広がっていることを認識したが「データが古く、放射性物質の密度も不明だ」と判断し、公表を見送った。
 SPEEDIの解析結果が県民に知らされたのは3月23日だった。
 浪江町民が津島地区に避難したのは3月12〜15日。SPEEDIの解析を生かして、一刻も早く同地区を離れるよう促されることはなかった。
 「時機を逸した情報は何の価値もない。町民は人災の被害者だ」。馬場有町長は怒りをあらわにする。
 津島地区に避難した無職谷島政己さん(89)は「避難中に解析結果が出ていればすぐに別の所に移り、余計な被ばくを避けられた。行政も東電も住民を軽く見ている」と憤っている。=2011年11月9日、河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2017年03月10日金曜日


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