宮城のニュース

<震災と視覚障害者>新生活 一から手探り

災害公営住宅の集会所で住民と交流するあい子さん(中央)

 東日本大震災の被災者向けに仙台市が市内39カ所に整備した災害公営住宅に現在、3106世帯が入居している。うち534世帯に障害者手帳を持つ人が入居し、市の「障害者世帯」に分類される。震災以降、住環境の変化を繰り返し迫られてきた障害者たちは、健常者以上に高いハードルに直面してきた。再出発を図る障害者の姿を追った。(報道部・吉川ルノ)

◎災害公営住宅 再出発のハードル(上)

 仙台市太白区の災害公営住宅「あすと長町第2市営住宅」で暮らす主婦渡辺あい子さん(62)が、自宅近くの横断歩道へゆっくりと歩いて来た。
 「曲がってから5本目の柱。そう、これだけ他より細いの」
 手触りと白杖(はくじょう)だけが頼り。耳を澄ませ、横断歩道を渡るタイミングを計る。「ゴーッ」。高架を通り過ぎる東北新幹線のごう音が、全てをかき消した。

<外歩きまで半年>
 30年前、徐々に視野が狭くなり、視力が落ちていく難病の網膜色素変性症と診断された。震災で宮城県亘理町先達前の自宅が被災し、余震におびえる中、完全に視力を失った。夫の晴男さん(64)は「震災のショックも影響したのだろう」と振り返る。
 同町が募集した仮設住宅に間に合わず、2011年9月、太白区中田6丁目のみなし仮設住宅に入居。15年5月、現在の災害公営住宅に移った。
 家の中での移動は壁伝い。部屋の構造や物の配置に慣れるまで1カ月を要した。歩行訓練士の支援を受け、数百メートル圏内にあるスーパーやコンビニ、最寄り駅へ1人で行けるようになるまで半年もかかった。
 あい子さんの買い物に同行した。「白杖が灰皿に当たったら少し左に向きを変えて、ボタンはその先に…」。スーパーの出入り口に設置された店員呼び出しボタンは目と鼻の先。押すまで5分以上、辺りをさまよった。
 「引っ越すたびに建物の配置や道路の位置、地名が変わる。覚えるのが本当に大変」。「ついのすみか」と定めた災害公営住宅に入居して約1年10カ月。全盲の渡辺さんにとって次々にハードルが待ち受ける。

<交流会へ積極的>
 身近な人間関係の再構築も一苦労だ。目が見えないため、「顔見知り」ができず、人の識別は声だけが頼りだ。
 みなし仮設住宅では、障害への理解を欠く隣人との関係に悩んだ。一方で、買い物帰りに自宅まで付き添ってくれた心優しいコンビニ店長はここにはいない。
 「知り合いは全くいない。いったいどうなるのだろう」。人間関係ゼロからスタートした災害公営住宅への入居は、不慣れな地理以上に心配だったという。
 不安を打ち消してくれたのは、災害公営住宅の集会所で毎週ある交流カフェなどのイベントだ。最近は「一緒に行こう」と声を掛けてもらえるようになった。
 自治組織「あすと長町第2市営住宅住民の会」の薄田栄一会長(64)は「あい子さんは、交流会に参加して自分から積極的に話し掛けている。気さくな性格のため、住民の理解と支援の輪が広がっている」と語った。


2017年03月07日火曜日


先頭に戻る