宮城のニュース

<あなたに伝えたい>死者の記憶 共に生きる

山形孝夫(やまがた・たかお)1932年仙台市生まれ。東北大文学部卒、東北大大学院博士課程満期退学。83〜89年宮城学院女子大学長。現在は同大名誉教授。

 東日本大震災で大切な人を失った遺族が在りし日を振り返り、今を語り掛ける。震災から6年。七回忌を迎え、亡き人との対話はどう果たされるのか。悲しみとどう向き合うか。元宮城学院女子大学長で宗教人類学者の山形孝夫さん(85)=仙台市泉区=に聞いた。(聞き手は報道部・村上俊)

◎悲しみとどう向き合うか 宗教人類学者 山形孝夫さんに聞く

 震災から6年がたち、仏教でいう七回忌に当たります。
 七回忌は、冥界での死者の幸福を祈る信仰で、古くから死者が先祖の霊魂へと昇華していく通過儀礼として守られてきました。
 追善供養の一つでもあり、追善によって、死者が耐え難いあの世の苦を免れることができるようにという願いが込められています。
 そうした法事を重ねることによって、死者は遠くへ旅立ってゆき、生者の悲しみは薄れていくと考えたのでしょう。
 悲しみは時が過ぎるとともに、和らいでいくのでしょうか。愛するわが子を失った親の気持ちは日がたつほどに、むしろ孤独が身に染み、悔いが消えることはありません。石巻市の大川小のような身震いするような悲劇もありました。
 埋めようのない空白の時間の中で悲しみは薄らぐよりも、ますます深まるばかり。そうした遺族が被災地には今もたくさんいる。それが七回忌の現実です。
 その悲しみの空白を、果たして宗教は埋め尽くすことができるのか。これが現在の宗教に投げ掛けられている疑問です。
 問題の核心はどこにあるのか。それは、死者の生きられなかった時間を、後に残された者が、いかに生きていくかという問題として捉え直すこと以外にないのです。そんなことが果たしてできるのか。そこにこそ宗教の役割があると考えます。
 一日一日を死者の記憶と共に生きていく。それには死者の生きられなかった残りの時間を生きていくという感覚を取り戻す努力が必要です。そこに自分の生き方を問われるポイントがあるのです。
 死者との「記憶の森」をいかに力を合わせて耕すか。被災地の各地で起きている「語り部」の活動は、そうした期待に応える新しい試みといえます。
 人は悲しみを物語として語るとき、「語り部」となるのです。悲しみは人生にとって避けられない試練ですが、他者への優しさを深める妙薬であり、かけがえのない人と人とをつなぐものだからです。


2017年03月11日土曜日


先頭に戻る